2018年02月18日

心の中の娘とともに:(7)

娘の夢
 2月10日の朝方、娘の夢を見ました。
:家でいつものようにテーブルを前にして二人で話をしていました。元気な頃の娘で、笑顔いっぱいでした。そこに電話がかかってきました。私が出ると、男の人の声で「フルカワですが、マルチニさんですか?」と聞いてきました。娘の知り合いと思ったので娘の方を見ると、娘はニコニコ笑顔でしたので電話を替わろうと思いました。が、すぐ「そうだ、娘は亡くなったんだ」と思い直し、「娘は2016年10月に亡くなりました」と言うとフルカワと名乗った人は驚き、それから電話の向こうで泣き出しました。私は思わず振り返って娘を見ますと、もう娘の姿は消えていました……。
 目覚めてから、フルカワさんという名前を娘から聞いたことがあるのを思い出しました。ポルトガル語圏に海外勤務をした人達が集まって、言葉を忘れないようにしている会がある、と娘が話していました。その会の娘のブラジル時代の知人が、ある時娘を誘ってくれたのです。普段の生活の中では全く母国語を話さない娘でしたが、久しぶりに日本人だけの中で遠慮なく母国語を話せて、娘も楽しかったのでしょう。帰宅してから、「お母さん、ブラジルにいた時の集まりを思い出し、懐かしかったし、楽しかった」と話してくれました。話の中で、フルカワさんというブラジルの領事館に勤務していた頃から知っている人が、その会のまとめ役をしていて、その人が娘を誘ってくれたと聞いたのです。もう二十年以上も前のことです。それが、どうして突然夢の中に出てくるのでしょうか。とにかく夢であっても娘と会えて良かった……。

長友明美さん
 NPO法人 キャンサー・フリー・ファミリー代表の長友明美さんより電話を頂く。数日前に、「ホーザ:ブラジルからのおくりもの」をお送りさせて頂きました。その感想を寄せて下さったのです。闘病記でこれだけ細かくデータを記したものはほとんど無く、とても役立つと思う、文章も読みやすい、などの言葉を頂きました。また、娘のために本を残したことも褒めて頂きました。
 宮崎に来ることがあれば連絡下さい、お会いできる日を楽しみにしています、なども話され、私はとてもうれしく思いました。
 長友さん自身末期がんを克服された方で、その著作を私も数冊読んで過去のブログで引用したこともあります。娘の闘病のアドバイスを受けるべく何度も連絡しようと思いながらそうしなかったことを今はとても悔やまれます。

近況あれこれ
オープン価格
 冷蔵庫を買い替えました。ちょうど十年使ったところで、昨年あたりから、これまでに無かった音がするようになったのです。一人暮らしになったとたん、夜中に「ギギギー ギギー」と音がし始めて、ちょっと気味が悪いと感じました。それでも、壊れたわけではないので、我慢して使っていました。娘も気に入って買った冷蔵庫です。愛着もあります。ところが最近は「ギギギー ギギー」という音の後に「パタン」という音まで加わりました。まるで、時代劇に出てくるお化け屋敷の戸の、開閉時の音とそっくりになりました。さすがの私も、これはもう買い替え時期かなあと思い、プリンターも写りが悪くなっているので一緒に購入できればと思い、近くの大型量販店に出かけました。
 冷蔵庫は、これまでのものと同じメーカーの同じ型にしようと思っていましたので、すぐ決まりました。色だけは、前はシルバーでしたが、今度の型はその色がなく、マチュアゴールドになりました。
 久しぶりに大きな買い物をして、初めてオープン価格というものを知りました。「定価はいくらですか」と聞いた私に、「オープン価格ですから」と答えた販売員。すると店頭価格は、いくら値引きしたのか、あるいはしてないのか購買者にはわからないということになるのではないか、と私は思ったのですが、購買者の皆さんは納得して買い求めているのでしょうか。私もいちおうネットで安い店はないかと探してはみたのですが、ほとんど価格の差が無かったので、店頭価格で買いました。が、何となく腑に落ちないものを感じました。
 新しい冷蔵庫は音がほとんどしません。なんだか「ギギギー ギギー」という前の冷蔵庫の音に懐かしさを覚えました。
(2018年2月18日)

posted by ジャン吉 at 11:21| Comment(1) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月05日

心の中の娘とともに:(6)

 
 1月22日、朝から雪。午後になっても降り止まず、2時過ぎにはふんわりふんわりの牡丹雪に。外はすっかり銀世界。
 2013年1月14日にも今日と同じように雪が舞い、娘はベランダに出てiPadで雪景色を写していました。目の前の雪景色を見ていると、5年前のことが今日の雪とダブってはっきりと浮かんできます。
あれからもう5年が過ぎ、雪を喜ぶ娘もいないわが家はひっそりとしています。私は一人、コーヒーを飲みながら娘の姿を思い浮かべています。

お見舞い
 昨年の5月、一つ年下の友だちが有料老人ホームに入居した旨、娘さんから通知があったので驚きました。ここ数年、年賀状がストップしていたので、ご両親の看病で実家に戻っているのかもしれないと思い、安否も確認しないままに過ごしていました。娘さんに問い合わせた結果、2011年頃からの認知症とわかりました。お見舞いは「いつでも都合の良い時に」とのことでしたので伺うことにしました。
 昼食の時間に合わせて一緒に食べながらの方がいいとの娘さんのアドバイスもありましたので、おにぎりとおかずとお茶持参で、1時間半ばかり離れたホームに出向きました。
 6月が最初のお見舞いでした。その時には私を認識してくれて、若い頃の話で楽しい時間を過ごすことができました。そして7月、8月、9月頃までは何とか話もできたのですが、その後は私を全く認識しない日もあり、私はとても悲しい気持ちになりました。1月のお見舞いの時には、パンが好きだったのを思い出し、私の母も好きだった木村屋のあんパンを持って行きましたら、美味しいと言って食べてくれました。この日の話はほとんど「怖い、叱られるから、ぶたれるから帰らないで」ということばかりでした。若い頃の聡明な彼女を知っている私には、今の彼女の姿はとても痛ましくて辛いものでした……。でも、この次にはきっと笑顔を見せてくれるに違いない、そう思って後ろ髪を引かれる思いでホームを後にするのです。

 私が、お見舞いに行きたくても行けない方もおります。娘の友達のお母さまで、娘がお世話になったので、娘の亡きあとも、娘の代わりに私がお見舞いに行きたいのですが、こちらは娘さんがホームに入居中のお母さまの管理(?)をしていて、許可を得ないとお見舞いもできないのです。親子であっても別個の人間ですから、それぞれが自由であっていいと思うのですが……。

団子の木
 くるみ餅でお正月を思い出してから、小正月も楽しかったことを思い出しました。
 お正月が過ぎても、私たち子供には楽しみが残っていました。それはすぐあとにやってくる小正月です。
 前の日に、祖父が山から数本の団子の木(ミズキ)の1メートルを超す大きな枝を数本切り取ってきます。この木の小枝はかぎのように曲がっていて、子供の頃はこの小枝で引っ張り合いをして遊んだものです。
 祖母と母が紅白の団子をたくさん作ります。それを子供たちも一緒に団子の木の小枝に刺して飾りつけます。出来上がったら、それを台所や座敷の四隅に飾ります。団子の木いっぱいに紅白の団子が付けられると、花が咲いたように華やかな感じがします。東北の真冬です。緑も花もほとんど見かけない中で、家中に咲く団子の花は、私たち子供にとってはそれだけで心が躍ったものです。そして団子が硬くなる頃には木から団子を取り外します。それをいろりの灰の中で焼いて食べる、臼で砕いて砂糖と一緒に煮て食べるなど、子供の楽しみは団子が無くなるまで続きます。
 父、祖父、祖母、母、弟、娘、と亡くなり、共通の思い出を語れる者は妹だけになりました。
(2018年2月5日)
posted by ジャン吉 at 09:59| Comment(1) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする