2018年10月18日

心の中の娘と共に:(24)

二度目の祥月命日
 娘が亡くなってから二年。速いものです。
 最初の頃は、失った事実の重さに押しつぶされそうな日々でした。娘の遺影に向かって語りかけ、泣いてしまう毎日が続きました。娘の部屋はまだ娘が暮らしていたままにしています。その娘の部屋の、娘のベッドに娘がいて、「ママエ、ありがとう」、「ママエおやすみなさい」……、と言ってくれた日々がもう戻ってこないなんて、私は認めたくなかった。自分は、この現実から立ち上がれるのだろうか、とも思いました。
 亡くなって1年目の昨年の祥月命日には、闘病記『ホーザ ブラジルからのおくりも:日本でガンと闘ったバルの記録』を出版。出版までの日々は、悲しみの日々から、少しは遠ざけてもくれもしました。それでも、娘を思って泣かない日はありませんでした。
親として、娘を守り切れずに先に死なせてしまったことへの、自分自身の心の負担が軽くなる日は、自分が生きている限りは、決して訪れることはないだろうと思っています。

 二度目の祥月命日の今日、朝いちばんに「祥月命日、マルちゃんによろしくお伝えください」というメールを茜ちゃんからいただきました。また、丸の内の職場の近くのブティックで知り合った娘の友達の一人からは、白いバラの花が贈られてきました。事前に電話を頂いたときに「マルチニさんともう少しお付き合いしたかったのですが、いつも○○さんと一緒だったので遠慮しました」、と言っていました。この方はおとなしい感じの人ですので、その気持ちがよくわかります。娘がこの方の気持ちを知っていたなら、喜んでお付き合いをしたことでしょう……。
 昼は、カンツオーネの会の友達と、近くのイタリアンレストランで、娘を偲んでワインでひと時を過ごしました。レストランから戻り郵便箱を開けると、以前娘に聖書の手ほどきをしてくれた方の、ご両親からのお便りが届いており、亡くなる一年前に娘と私が遊びに行ったときの思い出が綴ってありました。
 私の心の中ばかりではなく、娘を知る皆さんの心の中にも、バルが存在していることを、とてもうれしく思いました。

近況あれこれ
つゆ草
 鳥が種を運んできたのか、いつの間にかベランダの花の鉢に、故郷でとんぼ草と呼ばれていたつゆ草が数本育ち、小さなブルーの花を咲かせています。
 ある時期から、体力が落ちて散歩に行きたくとも行けなくなった娘に、私は野の花を手折ったり、木の実を拾ったりしてきて、季節の変化を味わってもらっていました。つゆ草もよく手折ってきて、陶器の楊枝入れに挿して、花が閉じるまでのわずかな時間を楽しんでいました。
 そのつゆ草が、娘のいないわが家のベランダに育ち、娘の目の色を思い出させるブルーの花を毎朝咲かせています。
(2018年10月18日)
posted by ジャン吉 at 18:42| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月06日

心の中の娘と共に:(23)

 
物の整理は人生の整理 
 昨年から一年以上もかけて、写真だけはやっと整理が終わりました。私の写真はほとんど捨てたのですが、娘の写真は量が多く、半分近くは処分しても、残った2000枚ほどを、どのような形で保存するのかを思考錯誤しながらの整理でした。最終的には業者に委託し、USBメモリーに入れてもらうとしても、その後、すぐ現物を処分してしまうか、あるいは私が亡くなるまでは保存しておくかにより、整理の方法も異なってきます。結局、アルバムに保存する写真と、年代ごとに透明なチャック付き整理パックに入れたまま保存する写真とに分けました。今年中には業者に委託できるようにしたいと思っています。
 写真を整理する過程で浮かんできたことは、娘の闘病記『ホーザ:ブラジルからのおくりも:日本でがんと闘ったバルの記録』に収納した娘の写真20枚が残っているので、それだけでも十分ではないか、という思いでした。娘を来日当時から知っている、ホームステイ先でお手伝いをしていた方は「本を開けばいつでもキリちゃんに会える」と言ってくれました。(姫路では娘の名前のバルキリアから「キリちゃん」と呼ばれていたそうです)。私も本の中の笑顔の娘だけを見続けていれば、緩和ケア病棟での日々の記憶が少しでも和らぐのではないか、とも思ったのです。でも、やはり今全ての写真を処分する決心がつきませんでしたので、これから時間をかけて考えてみようと思います。

 そのほかの片づけは、「物」の整理です。自分の残された時間を十年として、それまでにできるだけ「物」を整理(処分)し、風呂敷包み一個で旅立つという私の理想に近づけたいのです。
 最後まで残るのは家具類だと思いますが、これは甥や姪が引き取ってくれそうです。テーブルや椅子を含め、洋服ダンスや食器棚、整理棚やテレビ台も、義弟(甥・姪の父)の会社に頼んで、材料の木の種類から厳選して、部屋に合わせて注文して作ってもらったものですから、義弟亡き今、わが家の家具類は甥や姪にとって、いわば全て父親の遺作なのです。
 今日は、姪にダイニングテーブルの上塗りをしてもらいます。テーブルは松材ですが、もう表面が傷ついてきたので、蜜蝋で表面を保護してもらい、これからの長い使用に耐えてもらうようにします。
 姪に、「私の最後は、このテーブルの上に風呂敷包み一個を置いておくからね」と言うと、姪は「じゃあ、それを私が管理すればいいのね」と答えました。それを聞いて、おや、捨てないで持っていてくれるのね、とちょっと驚きもしましたが、嬉しくもありました。
 でも、姪が帰った後、死にゆく人間が、風呂敷包みに残すものなどあるのだろうか、とあれこれ考えてみました。写真や、ブログやその他の文書等を保存したUSBメモリーが2個。私の最後の後始末代と、娘と私の遺骨を一緒に海に流してもらうための経費。娘の来日時のパスポート。今のところ思いついたのはこの三つだけです。となるとハンカチで包んだだけでも済みそうです。
 それにしても、定年になるまで仕事をし、働いて得たお金で人生を楽しみもし、必要なものを買い揃え、やっと迎えた定年。その後の人生をまだそれほど過ごしてはいないというのに、今度はこれまでの人生で揃えた、思い出のこもった物を処分していく……。
物の整理(処分)は人生の整理なのだ、と思いながら片づけの日々を送っています。

近況あれこれ
 セミの鳴き声がぱたりとやんだと思ったら、虫の音が聞こえてくるようになりました。今年の夏は暑くて、セミやカブトムシには大変な年だったなあ、と思いました。そういえば、毎年夏に道で干乾びていたミミズの姿を、今年は余り見かけなかったことも不思議に思いました。きっとあまりにも暑すぎて、土の中まで高温で、地上に出る前に死んでしまったのかもしれない。そう思うことにしました。

(2018年10月6日)
posted by ジャン吉 at 11:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする