2018年12月29日

心の中の娘と共に:(29)

常備薬
 私が子供の頃には、医者にかかることはめったにありませんでした。
 富山の薬屋さんの、置き薬が常備薬で、医者替わりの役目を負っていたようです。毎年、柳行李に詰まった薬を大きな風呂敷で背負ってきて、各家の専用の薬箱に、胃薬や風邪薬、傷薬など、使った分だけ補充していきます。私達子供にとっては薬屋さんが子供に配る小さな紙の風船が楽しみでしたが、大人にとっては一年分の支払いがあるので大変だったと思います。現金収入の少ないわが家では、なるべくこの薬を使わないように、お金のかからない常備薬を工夫していました。

 山のふもとにある畑のほとりに、毎年数本のけしの花が咲いていました。花のあとは卵ぐらいの大きさの丸い果実になり、その果実が枯れてきた頃、茎ごと折ってきて、家の日の当たらない縁側の奥にぶら下げておいたものです。果実の中には種子がたくさん入っていて、振ってみるとカサカサと音がしました。この種子は、いわばわが家の常備薬のようなもので、私達子供がなんとなく体の具合が悪いときなどに食べさせられたように記憶しています。
常備薬にはもう一つあり、こちらは祖父が捕まえてきたマムシを、しばらくは水をいれた瓶の中に入れておいて不要物を吐かせてから、焼酎の瓶の中に入れて座敷の奥の一角にぶら下げてありました、やはりお腹を壊したときなどに飲ませられたものです。同じ「薬」でも、けしの種子は美味しくて私は好きでしたが、マムシの方は嫌だなあ、と思ったものです。

 小中学校の遠足は、春は海、秋は山に決まっていました。とくに、中学生になって比較的高い山に登るようになってから、祖父から頼まれたことがありました。高い山の頂上付近には木が無く、大抵原っぱでした。その原っぱの丈の低い植物の中から「トウヤク」と呼んでいた植物を採ってくるように、と頼まれたのです。「トウヤク」は、乾燥させて常備しておき、煎じて飲まされた記憶があります。とても苦いものでした。最近ネットで調べて、「当薬」は和名でセンブリのことだと知りました。
 そのほかにも、庭の片隅にはドクダミ、井戸の中には赤っぽい茎の貴人草などもありました。ドクダミの若葉はてんぷらにもできますし、乾燥させて煎じると、便秘によく効きました。また、お風呂に入れると体の吹き出物が直りました。貴人草はできもの、とくに鼻の具合が悪いときに、火にあぶって柔らかくしてから患部に貼った記憶があります。
 庭のイチジクの木の葉をもぎ取ると、白い樹液が出るのですが、その樹液を毎日「いぼ」に塗って、十日ぐらいで消えたこともありました。
 植物に詳しかった祖父が、山から採取してきて、庭に植えた薬草も何種類かあったのですが、名前も効能も今は覚えていません。

 最近来宅するたびに妹が、咳をしているので、「医者に行けば?」と私が言うと、ほぼ一年近く咳は続いていて、医者の薬を何度かもらって服用しても治らないというのです。私はすぐネットで調べてみました。すると、「生しぼりどくだみ青汁酒・十黒梅」という咳止めの健康食品が見つかりました。その場で注文し、翌日届いて飲んだら即効。以後、咳の常備薬にしているそうです。
 医者や薬に頼るのが当たり前の世の中ですが、それで改善しないときに、風邪など軽いものなどには、昔ながらの療法を試みるのも、一つの方法かと思いました。
 最近の「常備薬」は、健康食品が担っているのかもしれない、とふと思いました。

近況あれこれ
 今年も終わりですね。娘が亡くなってから二年過ぎました。娘のカンツオーネの会の仲間や、クリスチャンの友達が毎月訪れて、娘の思い出話をしてくれます。明日はヨガの友達、大晦日は私の友人来宅、心の中の娘と共に、新年を迎えます。
                    
(2018年12月29日)
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2018年12月15日

心の中の娘と共に:(28)

熟(う)んだっこ 
 柿の出回る季節も過ぎてしまいました。らでっしゅぼーや(有機野菜の会)では早くからカタログに載っていて、毎週取り寄せていましたが、こちらの柿は硬くて大きくてしっかりした種類のものが多く、皮をむいて硬いままを食べていました。
 その後、今年は柿の生り年なのか、あちこちから柿を頂きました。中が黒っぽい色の柿や、まん丸の市販の柿よりはだいぶ小さめの柿などです。その中に少し柔らかい柿があったのを目にして、故郷で「熟んだっこ」と呼んでいた柿のことを思い出しました。
 さっそく、そのまま二日ばかり置いて触ってみたら、柿の中身がトロトロの感じで、いい塩梅です。その一つを手に取り、皮に小さな穴を開け、そこに口をつけて、中身をチュウッと吸いました。美味しい、懐かしい味がしました。「熟んだっこ」の味です。すっかり中身を吸い尽くして、皮だけになりました。その皮を捨てるのも惜しくて、二つに割って皮の内側に付いていた僅かな「とろみ」をも嘗め尽くしました。
 柿は「熟んだっこ」がいちばん好きだし、美味しいと思いました。故郷大船渡では柿といえばどのうちの木も渋柿で、私の家の庭の柿も渋柿でしたので、干し柿にするか、柔らかめの柿は納屋でせいろに藁を敷き、そこに柿を並べて何日か寝せておき、「熟んだっこ」状態にして食べていました。
 今回のカタログで、旬の最後ということなのか、訳ありで特価の柿(2s1600円)が載っていましたので、「熟んだっこ」にしようと思い、注文しました。「訳あり」は不揃いで、「熟んだっこ」に適した小さめの柿も混じっているに違いない、と勝手に決めて届くのを待ちました。届いてびっくり。「訳あり」は、これまで見たこともない大きな柿ばかりだったのです。自分の勝手な思い込みを笑うしかありません。大きくても、かたくても、とにかく試してみようと思い、空き箱に新聞紙を敷き、一個づつキッチンペーパーに包み、その上をタオルで覆いました。3週間ぐらいで「熟んだっこ」完成(?)を信じて。
 そういえば、娘バルの生前にも、「訳あり」レモンを頼んだら、見たことのない大きなレモンが届いて、二人で大笑いをしたことがありました。「お母さん、また訳ありに外れたの?」という娘の声が聞こえてきました。
 時代小説の中にも、江戸時代「熟んだっこ」と同じように柿をある期間寝せて置いて食べる方法があり、食通だけが楽しめた話が載っていましたので、美味しい柿の食べ方としては昔から知る人ぞ知る、だったのですね。
 娘バルも「熟んだっこ」が好きでした。緩和ケア病棟に入院していたときにも、妹が柿を持ってきてくれて、翌日少し柔らかくなったのを「食べる?」と聞くとうなずいて、美味しそうに食べていました。二年前のことです……。

近況あれこれ
つゆ草の種子
 ベランダに、黒くて小さな粒が数え切れないほどたくさん落ちていました。なんだろうとよく見ますと、つゆ草の種子でした。一つのさやの中にたくさんの種子が詰まっていて、そのさやがはじけて種子が飛び散っていたのです。小さな花からは想像もしなかった種子の量に、必死に次世代へ命をつなごうとする姿をかいま見た思いがしました。来年も咲いてくれますように、と少しだけ残して鉢にばらまいておきました。
 娘ともよく眺めたつゆ草が、来年も娘の目の色と似た青い花を咲かせてくれますように。
                    
(2018年12月15日)
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2018年12月01日

心の中の娘と共に:(27)

 君しにたまふことなかれ
 朝の散歩で、ただ歩くだけでは5kmの道のりは長く感じて、途中で引き返す気持ちになるときもあります。それを防ぐためにいろいろ考えました。そして最近実行しているのが、中学校や高校で習った詩を思い出し暗唱することです。
 公園の道の最初の一周は、娘バルとの心の中での会話です。そして二周目からは詩の暗唱です。これまで覚えていた詩の中から、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』、島崎藤村の『千曲川旅情の歌』『初恋』、佐藤春夫の『海辺の恋』『少年の日』、高村光太郎の『レモン哀歌』『あどけない話』『道程』、北原白秋『落葉松』などを暗唱しながら散歩すると、時間の過ぎるのが早く、あっという間に散歩が終わっています。
 今週からは、新たに与謝野晶子の『君しにたまふことなかれ』を加えました。この詩は、最初の1連と2連は覚えているのですが、その続きはうろ覚えでした。ネットで調べてメモし、散歩用の衣服のポケットに入れて、散歩のときにそれを見ながら暗記します。今日で5連のうちの4連まで暗記しました。ところが、
   暖簾のかげに伏して泣く
   あえかにわかき新妻を、
   君わするるや、思へるや、
   十月も添はでわかれたる
   乙女ごころを思ひみよ、
   この世ひとりの君ならで
   あゝまた誰をたのむべき、
   君死にたまふことなかれ
という、最後の連がなかなか覚えられないのです。自分にとって、覚えやすい語句と覚えにくい語句があるのかもしれません。
 この詩を暗唱していて最初思ったことは、弟への愛を詠んだ詩ということですが、明治時代にこのような、反戦詩ともとらえられる詩を詠んだ晶子は、国家主義や皇室中心主義の人たちの反感や攻撃に遭わなかったのだろうか、ということでした。でも、何度も何度も暗唱しているうちに、反戦詩というよりも、召集され戦地で戦っている弟に、生きて帰ってきてほしい、という晶子の肉親への強い愛を詠んだもので、その愛を表現するために、為政者も天皇も添え物程度にしか思っていなかったのかもしれない、と私は思うようになりました。
 与謝野晶子は「歌はまことの心を歌うもの」と言っています。『君死にたまふことなかれ』の「まこと」は、肉親への強い愛と思うのは、私の思い違いでしょうか。
 詩といえば、ずうっと気になっていることをもう一つ。中学一年生になって、最初に習った詩がジョン・ラスキンという人の『学校へ行く道』という詩でした。私が覚えているのは、以下のような部分です。
 学校へ行く道
   冬の間は氷がはり、冬の間は雪が降って、
   学校へ行く道は長く寂しかった
   だが愉快な春がきて 花が開き鳥が歌えば
   学校へ行く道のなんと短いことだろう
   教室の時間のなんと楽しいことだろう

これだけのうろ覚えなのですが、なんとなく心惹かれるものがあり、全体をきちんと知りたいとずっと思っていました。ネットで調べても出てきません。中学校の同級生の何人かに聞いてみたのですが、覚えている人はいませんでした。
 カール・ブッセの『山のあなた』や、ヴェルレーヌの『都に雨の降るごとく』はたいていのひとが知っているのですが……。

近況あれこれ
娘の走る姿
 12月に入りました。今日はこれから本郷の小料理屋「入舟」の皇居一周マラソンに参加の予定です。「入舟」は既に閉店して何年も経っていますが、店主だった中島さんと常連さん達との関係はいまだに続いており、年に何度か集まりも持っています。今年は春の高尾山ハイキングと今回のマラソンです。マラソンといっても、走れない人は歩きで参加します。私も今は歩きです。
 生前、娘バルも何度も参加し、皇居の周りを走っています。あるときなど、バルはコースを間違えて、一人で大回りしたこともありました。
 今日も、バルはきっと皆さんと一緒に走り、終わった後のビールを美味しそうに飲むことでしょう。その光景が今から私にははっきりと浮かんでいます。

(2018年12月1日)
posted by ジャン吉 at 10:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする