2018年04月05日

心の中の娘とともに:(10)

鍋じまい
 らでぃっしゅぼーや(有機野菜の会)のカタログに、鍋の季節もそろそろ終盤ということで、鍋セットがいろいろ載っていました。それを見ながら、昨年同様今年も注文しないままに終わってしまったなあ、と寂しく思いました。
 娘と二人のときには、鍋をよく食べました。「古処鶏水炊きセット」、「若鳥ちゃんこ鍋セット」「鴨鍋」「豆腐屋さんのおでん」等々。食事療法をするようになってから、牛豚は食べなかったのですが、それ以外はほとんどの鍋を食べました。今は、土鍋は棚に収まったままです。
 そういえば、娘が亡くなり私一人になってから、ほとんど食べなくなったものに「鶏」があります。娘が好きだったことと、牛豚が食べられなくなってからは、肉といえば鶏ばかりだったので、その反動かもしれません。戦時中、さつまいもばかり食べていた人が、戦後何年たってもさつまいもが食べられないということと同じようなことかもしれませんね。

鍋焼きうどんの具の卵
 鍋で思い出したことがもう一つ。そば好きの私が、毎週ヨガの帰りに寄る文京区白山のそば屋の「鍋焼きうどん」の話。冬の寒さの中では、食べたくなる一品です。ただ、麺なら何でも好きな私ですが、どちらかと言えばそばのほうが好きなので、「鍋焼きうどん」は、季節に一度か二度食べるだけです。この「鍋焼きうどん」、ネギ、干ししいたけ、かまぼこ、油揚げ、卵など具の多いのも好きな理由の一つですが、問題は卵です。以前は、温かい汁に卵が割り入れてあって、お客の前に運ばれてくる頃にはトロトロになっていて、卵の溶けた汁とともに食べるのが、私の好みの状態だったのです。ところが、昨年から、割り入れ卵が「卵焼き」に変わったのです。これでは大げさに言えば、鍋全体の味が変わったとも言えなくありません。それで、もうこの店の「鍋焼きうどん」を食べることはないかなあ、と思いました。でも、やはり、一緒に行った友だちが注文すると、他のお客が気づかないのなら、私一人の好みなのかもしれないと思い直し、今年も一度だけですが食べてしまいました。
 持ち上げると垂れるぐらいの、とろりとした状態の黄身の味が、いちばん私の好みなのです。毎朝目玉焼きを作りますが、火にかけ過ぎて黄身が硬めですと、白身だけ食べて、硬い黄身は捨ててしまうほど、こだわってもいるのです。
 そういえば、娘は、卵料理はよく食べましたが、生卵だけは一度も食べたことがありませんでした。メキシコの友だちも生卵はダメと言っていましたし、中国でも食べないと聞いていましたから、生卵をよく食べる国は日本ぐらいなのでしょうか。

Kちゃん一年生終業
 3月末に二度ほど、学校帰りのKちゃんを、我が家で預かりました。姪(Kちゃんの母)が保護者会等の用事で在宅できなかったからです。
 我が家に来ると、Kちゃんは宿題を済ませます。算数と国語です。国語の音読を聞いていると、教科書の中身は私達の頃とは異なって、ほとんど短い物語風になっているようです。ですから聞いていて、大人にもその面白みが伝わってきます。「おもしろいね」と言うと、Kちゃんは張り切って読んでくれます。算数はまだ足し算と引き算だけですが、問題の出し方に工夫があるのか、私にも「?」と思うことがあり、一年生の勉強と侮れない感じがしました。
 算数と言えば、私の小学生の頃の通信簿に「計算が速く、そしてよくまとをはずします」と書いてあったのを思い出します。国語は「わかっていても手を上げません」でしたし、音楽は「恥ずかしがって歌おうとしません」でした。Kちゃんは活発な小学生だけど、私はおとなしかったのかなあ……。
 宿題が終わると、お医者さんの問診ごっこです。向き合う位置に椅子を二つ用意し、パソコンに近い椅子にはお医者さん役のKちゃんが座ります。患者役の私にいろいろ質問し、その都度パソコンに向かって入力するしぐさをするのです。医院に行くたびに覚えてくるのでしょうか、問診もベテラン医者並みです。以前は娘バルが相手でしたが、今は私です。7歳、と75歳の遊びです。
 Kちゃんの幼稚園入園の日は、霙の降る寒い日で、バルが心配していました。あれからもう三年が過ぎ、 明日からKちゃんは小学二年生。

(2018年4月5日)
posted by ジャン吉 at 10:38| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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