2019年07月06日

心の中の娘と共に:(41)

白山神社
 私は、退職してからヨガに通い始めました。運動嫌いでも、少しは日々老いゆく体をいたわる何かをしなければ、との思いで始めたのですが、もう17年目に入りました。
 ヨガ教室は、文京区の白山という町の、公民館のようなところを借りて毎金曜日に開催しています。ヨガは11時半に終わります。終わった後はいつも近くのそば屋「戸隠そば満寿美屋」に寄ります。食べるそばは、冬はきつねそば、夏はもりそばか冷やしきつねそばです。
 6月のある日、いつものようにヨガの帰りに「満寿美屋」に入りますと、結構混んでいたのです。年中金曜日のお昼に寄りますから、だいたい客の入り具合は分かっていました。ところが、この日は何となく雰囲気が違う感じがしました。右隣りの席の、老夫婦が食べているそばを見ますと、天ざるです。平日の昼に、そばを食べにくる夫婦は余り見かけません。ところが、今日は両隣りの席ともご夫婦です。それに、この店でいちばん値の張る天ざるを、左となりの席のご夫婦も注文。ちなみに私は16年以上も、毎週のように寄っていても、いちども天ざるを注文したことがありません。
 一緒にいたヨガの仲間と「いつもと様子が違うわね」と話しました。顔なじみの店の従業員も、立ち話をする暇もなく、忙しそうにしています。入り口付近には待っている人も見えたので、私達も食べ終えるとすぐに席を立ちました。そして外に出ると、その理由が分かりました。すぐ近くにある白山神社で、「あじさいまつり」が行われていて、その流れのお客さんがそば屋に寄ったということだったのです。
 私は、若い頃、職場が近いこともあって、このあたりに10年ほど住んでいたことがありました。近所なので、白山神社の存在は知ってはいましたが、一度も足を運んだことがありません。時代小説を読むことが多くなったこの頃、白山神社もしばしば小説の中に出てくるので、そのうち寄ってみようかな、とは思っていました。
 最近読んだ小杉健治の『遠山金四郎が消える』という小説にも「闇に沈んでいる加賀前田家の上屋敷表門を過ぎると、追分で中山道と日光御成街道とに分かれる。金四郎は左の中山道に入る。白山権現も闇に隠れ、やがて巣鴨を過ぎた。」という場面が出てきます。
 加賀前田家の上屋敷表門とはご存じ東大赤門で、追分は、農学部前にあり、その二手に分かれる道の角には高崎屋という酒店があったと思います。大学は私の職場でしたから、小説の場面もはっきり浮かんできます。追分の左の中山道(旧)を10分ぐらい歩くと、白山御殿大通り(旧)にぶつかります。通りの左側には白山神社(白山権現)が見えます。「戸隠そば満寿美屋」は白山御殿大通りと中山道の交わるあたりの角にあります。

 一緒に食事をしたヨガの仲間に、白山神社に寄ってみたい、と言いますと、付き合ってくれました。
 門から入り、境内のあちこちに咲いている紫陽花を見て回りました。境内が思っていたほど広くなかったのは、意外でした。天歴2年(948年)に、石川県の一宮白山神社から勧請(かんじょう)を受けたといわれるこの神社も、本郷から小石川、そして今の場所に移ってからさえ、400年以上も経ているのですから、狭くなったのは、時代の流れのなかでの結果かもしれません。私が常時見ている嘉永6年板(1853)の『小石川・谷中本郷絵図』(複製)では、白山御殿大通り(旧)に面したところからが、神社の敷地になっているのですが、現在は、大通りからだいぶ奥に入ったところに門があるのです。160年の間にさえ、これだけ狭くなっているのです。ですから、時代小説などで読む白山神社の賑わいは、今の狭い境内に身を置いていては、なかなか想像することは困難です。
 やはり私は、小説の中の白山神社だけを、心にとどめておけば良かったかな?と少しばかり後悔しました。

(2019年7月6日/次回更新予定7月20日)
posted by ジャン吉 at 10:20| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
  昨日より 色のかはれる

 紫陽花の

  瓶をへだてて 二人かたらず    啄木


七月は、文京朝顔・ほおずき市があります。   
Posted by hana at 2019年07月19日 14:37
読んだ本からの自分なりイメージ、映像って特別で、大切にしたいですね。
Posted by みやうち at 2019年07月21日 15:15
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: