2019年07月20日

心の中の娘と共に:(42)

蚊帳
 高田浩吉の「伝七捕物帖」(1959)という映画をテレビで見ていましたら、蚊帳を吊っている場面が出てきました。「懐かしい!」と思わず大きな声をだしてしまいました。
 時代劇はよく見ているのですが、これまで、ほとんど蚊帳を吊っている場面に、出会ったことがなかったのです。あるとき不思議に思い、ネットで調べてみましたら、江戸時代には庶民の間にまで普及していたとのことでした。が、庶民のほとんどは長屋住まいらしかったので、長屋には蚊があまり出なかったのかな、と思ったりもしていました。あるいは、一般の人には値段が高くて手が出せなかったのかも、とも思っていました。
 「伝七捕物帖」の映画では、伝七のおかみさんが使っていました。岡っ引は決まった報酬が無く、おかみさんに商売などやらせて収入を得ていた者が多かったそうですが、伝七のおかみさんに商売などの様子はなく、それでも蚊帳を使っているということは、やはり庶民でも手の届くものだったのですね。長屋住まいに蚊帳が出てこなかったのは、部屋が狭いことと、煮炊きの窯の煙で燻されて、蚊がいなかったことも考えられます。
 
 私の育った実家では、蚊帳は必需品でした。庭が広くて、木々が多く、家の片側には2メートルぐらいの幅の川も流れていましたので、蚊の出やすい環境だったからだと思います。
 蚊帳は、全体が緑っぽい色に紅い縁取り。各部屋の四隅のなげしにS字型の金具のフックがかけてあり、そこに吊るしていました。
 夏が近づき、蚊の出る頃になると、毎日夜は蚊帳の中で寝ることになります。これが私達子供にとっては、別世界に迷い混んだような嬉しさで、はしゃぎまわります。そして、何度も蚊帳から出たり入ったりするので、蚊を入れてしまい、しょっちゅう叱られていました。
 叔母(父の末の妹)の子供の頃には、暗くなる頃、蛍を捕らえに出かけ、捕らえてきた蛍を蚊帳の中で放ち、楽しんだそうです。蛍を捕らえに出かけるときには、いつも祖父(叔母の父)が「暗闇で光っているからと言って、ヘビをつかむんじゃないよ」、と言ったそうです。ヘビの目も闇に光っているので、間違えて噛まれでもしたら、との親心からだと思います。
 蚊帳の使用はいつ頃まで続いたかは覚えていませんが、中学生になった頃にはもう使っていなかった気がします。 
 その頃の実家は台所が広く、いろりが切ってありました。そのいろりで、蚊よけのために、ヨモギや杉の葉を焼(く)べて、くすぶる煙で蚊を追い払っていたことも覚えています。台所は煙で蚊を追い払い、寝る部屋は蚊帳で蚊を防いでいたのですね。
 テレビの画面から、祖父母、父母、兄弟と、家族がそろっていた頃の、懐かしい思い出に繋がりました。
近況あれこれ
 4月から、ボランティア団体に参加させて頂き、外国人に日本語を教えています。週一回ですが、日本語初心者へのマンツーマン指導ですので、それなりの準備も必要です。幸い、教える相手は中国の方ですので、若い頃習った中国語が役に立つかな、と思って担当させていただいたのですが、初心者では、日本語での説明は相手に解ってもらえないので、説明のほとんどを日本語と中国語併用でしなければならないことに気がつき、ちょっと焦りました。
 それでも、相手は若くて学ぼうとする気持ちが強い人ですので、覚えも早く、最近は少しずつ話ができるようになりました。とは言っても、新しい言葉や会話を教えるときには、どうしても中国語併用になりますので、そのための準備で週一日は時間を費やしてしまいます。
 また、日本語教師の経験がないので、7月には区役所主催のセミナー、8月には「日本語ボランティア研修講座」受講の予定もあり……。
 というようなわけで、時間の余裕がなく、8月のブログ更新はお休みさせて頂くかもしれません。いつも読んでくださっている皆様、ありがとうございます。

                 
(2019年7月20日/次回更新は未定)

posted by ジャン吉 at 13:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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