2020年03月28日

心の中の娘と共に:(55)

老いて再び児になる
 ある日わが家に遊びに来ていたKちゃんが、私の出したお皿を目にして、「何か付いている」と言いました。それを聞いてすぐ思い出したことがありました。まだ勤めていた頃、お姑さんと同居していた同僚が、こんなことを言っていたのです。「母が手伝ってくれるのはいいのだけれど、食器など洗ったあとでも、汚れが落ちてないこともよくあるのよ」と。
 私も「老い」からくる様々な弊害を日々自覚するようになりました。洗い物などは視力が落ちているので、成るべく見落としがないように気をつけてはいるのですが、Kちゃんに指摘されるようになりました。また、袖口に付いたご飯粒が、からからに乾いて硬くなるまで、気がつかないで着ていたこともあります。

 うろ覚えですが、佐藤春夫にこのような詩があったと思います。
  人妻こそは哀れなり
  やや寝過ごせし 驚きに 
  つととびおきて 水をくむ
  枕の下の落ち髪を 
  嘆くことさえ 忘れたり

 詩の内容とは関係のないことですが、「枕の下の落ち髪」と言えば、毎朝、自分の枕やその周りに、白髪が落ちているのが目につくようになり、毎朝「嘆いて」います。髪を黒く染めたことが無い私ですから、歳相応に白髪頭になっています。部屋を掃除機で掃除すれば、袋に溜まるゴミは白髪。雑巾がけをしても、白髪。スリッパの底にくっつくのも白髪、椅子の足カバーにも白髪……。「銀髪」と呼ばれることもあるとおり、白髪は結構光って見えるので、室内に落ちていても目立つのです。最近は、外出のときにも、洋服に白髪が付いていないかを、背の方まで鏡の前で確認してから出かけるようにしています。昨日は、証明写真が必要なので、近所の証明写真ボックスで写してきたのですが、その写真には「白髪のおばあさん」が写っていました。普段鏡で見る自分よりも、照明が当たったことで、白髪が更に強調されて写ったのでしょう。
  分け入っても分け入っても青い山 (山頭火)
  分け入っても分け入っても白髪山 (おら女)


 食事のときには、食べこぼしが見られるようになりました。普段着の前側には、シミや食べ物のカスがこびりついているなど、まったく恥ずかしい限りです。子供の食べこぼしは、口が小さい、噛み切れない、手をうまく動かせない、食事に集中できない、などが原因なそうですが、大人の私の場合には、「老い」しか考えられません。老いによって、自分では気づかないまま、子供と同じような食事環境になっているのでしょうか。
老いて再び児になる」ということわざを実感しつつあるこの頃です。

 3月4日は私の77歳の誕生日でした。娘のいない誕生日も4度目を迎えました。今年も、生前娘からもらった誕生日のカードを出して、娘の遺影の前に飾りました。花は、姪から、娘バルの好きなバラや蘭の花を頂き、飾りました。
 Kちゃんは、手製の「思い出日記:楽しかった事、いろいろな事」をプレゼントしてくれました。そこには、不登校だった一年間の「心境」が描かれていました。「ある日ブログに自分のことが……。その時の心境は複雑だった……」という箇所を読んで、Kちゃんが自分のスマホで、私のブログまで読んでいたことに驚きました。「いくちゃん(私)が支えてくれたおかげで、もう四年生に。いつもありがとう」で、日記は終っていました。
 私こそ、Kちゃんに教えてもらうことがあり、Kちゃんと遊んでいると心が和むことにも気づいています。姪に「Kちゃんはいつまで私と遊んでくれるかなあ」と言ったら「以外に長いかも」という返事が返ってきました。
 最近は、Kちゃんと仲良しの男の子からも「一緒に遊ばない?」と声を掛けられることもあります。最初は驚きましたが、私がKちゃんの友達(?)だから、仲間だと思っているのかなあと、嬉しくも思いました。遊び仲間に歳の差は関係ないのか、それとも老いて再び児になっている私が、子供の純な目にははっきりと見えているのか……。

 コロナ肺炎で世界が揺れている中、77年生き延びている私がいる。

(2020年3月28日)
posted by ジャン吉 at 10:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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