2020年11月18日

心の中の娘と共に:(63)

麻雀の外野
 大学に勤めていたころ、勤務が終わってから、休憩室でよく麻雀をしていました。女性は私だけ。そこに後ろからゲームを覗いて「バカ、お前頭悪い!」などとののしる、うるさい外野がいました。事務部門の上司の一人でした。私は、教えてもらったほうが得だと思っていましたから、何を言われても気にもしませんでしたが、言われるのが嫌で逃げ出す人もいました。図書館勤務の私は、事務の上司とは仕事では直接関係がなかったのですが、厳しい上司と聞いていました。大学紛争の激しいころには、彼は木刀を片手に、厳しい顔つきで学部の周囲を見回ってもいるなど、ほかの職員とはどこか異質な印象を受けてもいました。
 大学では大きな看板の需要がしばしばあります。あるとき、彼が看板の字を書いているところに出くわし、目が離せなくなって、立ち止まって見ていました。習字で書き慣れた立派な字ではなく、同じ立派な字でも、個性が感じられる字だと思いました。    
 この上司、頭が切れるうえに字もうまかったのです。それで彼に興味を持ち、同僚に聞いてみました。彼は美学出身でした。
 「美学」は、一般にはあまりなじみのない分野ですが、ごく簡単に言えば「美を考察する学問」とでもいうことでしょうか。ネットで見ると、「価値としての美、現象としての美、美の体験などを対象とする学問」とのことです。
 美学出身と聞いて、納得する部分もありましたが、なぜ彼が大学の事務部門にいるのかは、誰に聞いても知ることができませんでした。
 この上司は、当時の学部長が総長になったときに、総長の秘書課長として総長室に移りました。総長室など、一介の職員には縁のないところなので、会うこともないと思っていたのですが、ある日、図書館で仕事中に「総長室から電話です」と言われ、電話に出ると、秘書課長の彼からで、調べものの依頼でした。どうして私に?と思ったのですが、調べ事は司書の仕事でもありますし、専門外の調べでも、自分の勉強になりますから引き受けました。その後、彼が秘書課長在任の間、何度か依頼を受けました。依頼されたすべての事項に回答しました。彼はいつも「有難う」と一言。
 あるとき、本郷の居酒屋でひとり飲んでいる彼の姿を目にしました。私が挨拶をしようと近づくと「お前か、早く帰れ。これ以上傍にいると危険だよ」と、普段厳しい顔つきの彼が、酔いのせいもあるのか、やさしい笑顔でそう言ったのです。酒の席での、とかくうわさのあった彼の、私に対する気遣いだったと思います。

 もう一人外野がおりました。当時の事務長だったAさんです。彼は勤務時間が終了すると、そのまま事務長室で執筆に専念していました。学生の就職相談も担当していましたので、関連する執筆依頼も多く、本も数冊出していたと思います。そのAさんの原稿を初めて目にしたときには、びっくりしました。Aさん、筆は立っても、編集者泣かせなほどの癖字の主だったのです。
 そのAさんが、執筆の息抜きに休憩室にやってきて、麻雀中の私たちをちょっとからかうのです。私にはいつも「今日も女ひとりで頑張っているね」と言います。
 あるとき、私に、「収入は一つだけでなく、もう一つあれば、心にも経済的にも余裕のある生活が送れるようになると思うよ」と話してくれたことがありました。その言葉が心の片隅に残っていたせいか、学部の先生の紹介で、予備校(夜間)の国語の教師を数年勤めたことがありました。その後も、とにかく給料以外の収入の道を探っては、あれこれ手を出していました。そのおかげか、Aさんの言葉どおり、なんとか経済的な心配なく過ごしています。 
 Aさんは執筆で得た収入で何度か飲みに連れて行ってくれました。本郷の裏通りの、人が三人も入ればいっぱいというような狭いバーや、昼でもお酒が飲める店としても知られている、神保町の古い喫茶店「ラドリオ」などです。
 職場のトップと私的に飲みにいくことは、私にとっては日常の流れの一端に過ぎなかったのですが、それでも同僚にも一言も話したことはありません。私は話題豊富なAさんとの、楽しくて知識欲を満たしてくれる時間を、失いたくなかったのです。
 今回、このブログを書くにあたって、Aさんのことをネットで調べて驚きました。Aさんの祖父は男爵で、明治期に官僚として、そして帝国議会発足とともに貴族院議員として活躍した人だと知りました。Aさんは、自分個人のことは話したことがなかったので、私は知りませんでした。職場の同僚も知らなかったと思います。以前、ブログ「教官編」で哲学の斎藤忍随先生の思い出を綴り、「本当に偉い人は偉ぶらない」という言葉で締めましたが、ここにも、本当に偉い人は偉ぶらない」人がいたのです。
 その後、定年を迎えたAさんは、都内の大学教授として再就職しましたが、まもなく病死。Aさんは、私の尊敬する数少ない上司の一人です。

 大学に60歳の定年まで勤めたことで、いろいろな人たちとの交流を通して、多くのことを学ぶことができました。特に、公務員としての出発から十数年を、上記二人の上司のもとで働くことができた私は、幸運だったと思います。ちなみに、私が図書館司書として公務員生活を送ることができたのは、A事務長の勧めと配慮のおかげでした。
 勤務時間外の場所での、麻雀の外野としての始まりから、私を信用し、間違いの許されない調査を命じてくださった事務部門の上司。「図書館のほうが向いている、司書の資格を取りなさい」と何度も説得してくださったA事務長。終生忘れることはありません。多謝。
                        
(2020年11月18日)
posted by ジャン吉 at 11:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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