2020年12月05日

心の中の娘と共に:(64)

 漢字は、覚え違いも読み間違いも当たり前
 あるところで、漢字を読めなかった麻生太郎議員が話題になっていました。私は、時代劇以外はほとんどテレビを見ないので、首相が菅義偉に代わったことも知らないでいたほどです。ましてや、麻生議員の漢字読み間違いが話題になっていることなど、知る由もありません。
 それでも、「漢字の読み」については、もともと関心があったので、帰宅してから、麻生議員が読み間違えたといわれている漢字をネットで調べてみました。
(1)怪我−かいが (2)完遂−かんつい(3)焦眉−しゅうび
(4)順風満帆−じゅんぷうまんぽ(5)措置−しょち(6)思惑−しわく
(7)低迷−ていまい(8)破綻−はじょう(9)頻繁−はんざつ
(10)踏襲−ふしゅう(11)前場−まえば(12)未曾有−みぞゆう
(13)有無−ゆうむ(14)詳細−ようさい
 これらの漢字のほとんどは、普段言葉として、誰でも使ったおぼえがあることと思います。でも、言葉として使ってはいても、いざ漢字で書けと言われて書ける人は、そう多くはいないと思います。
 読みのほうも、読み間違い易い漢字が多く、読み間違えたからといって「漢字が読めない人」と、一括りにするとしたら、日本国民の多くが「漢字が読めない人」となってしまうのではないか、と思いました。そうなれば(大げさに言えば)日本の教育界をも巻き込む大きな問題となってしまうのではないかとも思いました。
 あるとき、習い事で知り合った五十代の人に、「図書館の仕事をしていたと聞きましたが、本の貸し出しですか?」と聞かれました。図書館といえば町の図書館以外、利用したことのない人にとっては、そう思うのは自然だと思います。でも、町の図書館であっても、貸出業務に至るまでの本の流れには、見えない部分に多くの仕事が存在しているのです。
 大学図書館の司書として、私が担当していたのは目録作成です。カタロガー(cataloger)と呼ばれている、仕事人です。
 在職中に、勤務先での図書館月報に、「読み」について私の書いたものが載ったことがあったので、読み返してみました。検索手段としての書名、著者名、地名などの「読み」の正確度を高めるために日々苦労と努力を重ねている様子が伺われ、懐かしく思いました。
 仕事で「読み」の力を鍛えた(?)私でさえも、読み間違えることがたくさんあります。それは、私個人の力不足もさることながら、漢字があまりにも多いことに原因があるのではないか、あるいは日本語の表記システムが持つ複雑さによるものではないか……。などと考えていたら、ブログなどで軽々しく扱う問題ではないのかもしれない、というところに落ち着きました。
 何十年も仕事で利用していた「大漢和辞典(諸橋轍次編)」には、親漢字5万余字、熟語53万余語収録されています。その漢字一字の読みが呉音、漢音、慣用音などがあり、それに国字や、言葉に漢字を当てはめたものなどを含めれば、数えきれないほどの「読み」が存在することになります。それに、読めなくて当たり前のような地名や氏名の存在。

 議員の国会答弁では、他人の作成した文を読むのですから、読み間違えがあったとしても不思議ではありません。麻生議員が幾つかの漢字を覚え間違えていたか、あるいは読み間違えたからといって、笑ったりバカにしたりする人がいたら、それは自身を笑っていることにもなりかねないのでは?とここまで考えてふと浮かんだ言葉が「目くそ鼻くそを笑う」でしたので、思わず笑ってしまいました。こんなことわざしか浮かんでこない、自分を笑ったのです。

近況あれこれ
紅葉
 毎朝ベランダ側のカーテンを開けると、すぐ目の前に広がる小さな公園を眺めます。秋に入ってから、日々紅葉が美しさを増していることに気がつきました。今年は近年にない美しさだと思いました。紅葉は、秋ごろの気候、昼と夜の寒暖の差に左右されると覚えていましたが、確かに、11月に入っても昼暖かくて夜は結構気温が落ちる日が続いています。
 娘バルも、ベランダからの景色が好きで、雪景色や紅葉などをiPadで写しては楽しんでいました。今年の美しい紅葉を目にしたら、歓声を上げて毎日写真を撮ったことでしょう。
                           
(2020年12月5日)
posted by ジャン吉 at 09:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月18日

心の中の娘と共に:(63)

麻雀の外野
 大学に勤めていたころ、勤務が終わってから、休憩室でよく麻雀をしていました。女性は私だけ。そこに後ろからゲームを覗いて「バカ、お前頭悪い!」などとののしる、うるさい外野がいました。事務部門の上司の一人でした。私は、教えてもらったほうが得だと思っていましたから、何を言われても気にもしませんでしたが、言われるのが嫌で逃げ出す人もいました。図書館勤務の私は、事務の上司とは仕事では直接関係がなかったのですが、厳しい上司と聞いていました。大学紛争の激しいころには、彼は木刀を片手に、厳しい顔つきで学部の周囲を見回ってもいるなど、ほかの職員とはどこか異質な印象を受けてもいました。
 大学では大きな看板の需要がしばしばあります。あるとき、彼が看板の字を書いているところに出くわし、目が離せなくなって、立ち止まって見ていました。習字で書き慣れた立派な字ではなく、同じ立派な字でも、個性が感じられる字だと思いました。    
 この上司、頭が切れるうえに字もうまかったのです。それで彼に興味を持ち、同僚に聞いてみました。彼は美学出身でした。
 「美学」は、一般にはあまりなじみのない分野ですが、ごく簡単に言えば「美を考察する学問」とでもいうことでしょうか。ネットで見ると、「価値としての美、現象としての美、美の体験などを対象とする学問」とのことです。
 美学出身と聞いて、納得する部分もありましたが、なぜ彼が大学の事務部門にいるのかは、誰に聞いても知ることができませんでした。
 この上司は、当時の学部長が総長になったときに、総長の秘書課長として総長室に移りました。総長室など、一介の職員には縁のないところなので、会うこともないと思っていたのですが、ある日、図書館で仕事中に「総長室から電話です」と言われ、電話に出ると、秘書課長の彼からで、調べものの依頼でした。どうして私に?と思ったのですが、調べ事は司書の仕事でもありますし、専門外の調べでも、自分の勉強になりますから引き受けました。その後、彼が秘書課長在任の間、何度か依頼を受けました。依頼されたすべての事項に回答しました。彼はいつも「有難う」と一言。
 あるとき、本郷の居酒屋でひとり飲んでいる彼の姿を目にしました。私が挨拶をしようと近づくと「お前か、早く帰れ。これ以上傍にいると危険だよ」と、普段厳しい顔つきの彼が、酔いのせいもあるのか、やさしい笑顔でそう言ったのです。酒の席での、とかくうわさのあった彼の、私に対する気遣いだったと思います。

 もう一人外野がおりました。当時の事務長だったAさんです。彼は勤務時間が終了すると、そのまま事務長室で執筆に専念していました。学生の就職相談も担当していましたので、関連する執筆依頼も多く、本も数冊出していたと思います。そのAさんの原稿を初めて目にしたときには、びっくりしました。Aさん、筆は立っても、編集者泣かせなほどの癖字の主だったのです。
 そのAさんが、執筆の息抜きに休憩室にやってきて、麻雀中の私たちをちょっとからかうのです。私にはいつも「今日も女ひとりで頑張っているね」と言います。
 あるとき、私に、「収入は一つだけでなく、もう一つあれば、心にも経済的にも余裕のある生活が送れるようになると思うよ」と話してくれたことがありました。その言葉が心の片隅に残っていたせいか、学部の先生の紹介で、予備校(夜間)の国語の教師を数年勤めたことがありました。その後も、とにかく給料以外の収入の道を探っては、あれこれ手を出していました。そのおかげか、Aさんの言葉どおり、なんとか経済的な心配なく過ごしています。 
 Aさんは執筆で得た収入で何度か飲みに連れて行ってくれました。本郷の裏通りの、人が三人も入ればいっぱいというような狭いバーや、昼でもお酒が飲める店としても知られている、神保町の古い喫茶店「ラドリオ」などです。
 職場のトップと私的に飲みにいくことは、私にとっては日常の流れの一端に過ぎなかったのですが、それでも同僚にも一言も話したことはありません。私は話題豊富なAさんとの、楽しくて知識欲を満たしてくれる時間を、失いたくなかったのです。
 今回、このブログを書くにあたって、Aさんのことをネットで調べて驚きました。Aさんの祖父は男爵で、明治期に官僚として、そして帝国議会発足とともに貴族院議員として活躍した人だと知りました。Aさんは、自分個人のことは話したことがなかったので、私は知りませんでした。職場の同僚も知らなかったと思います。以前、ブログ「教官編」で哲学の斎藤忍随先生の思い出を綴り、「本当に偉い人は偉ぶらない」という言葉で締めましたが、ここにも、本当に偉い人は偉ぶらない」人がいたのです。
 その後、定年を迎えたAさんは、都内の大学教授として再就職しましたが、まもなく病死。Aさんは、私の尊敬する数少ない上司の一人です。

 大学に60歳の定年まで勤めたことで、いろいろな人たちとの交流を通して、多くのことを学ぶことができました。特に、公務員としての出発から十数年を、上記二人の上司のもとで働くことができた私は、幸運だったと思います。ちなみに、私が図書館司書として公務員生活を送ることができたのは、A事務長の勧めと配慮のおかげでした。
 勤務時間外の場所での、麻雀の外野としての始まりから、私を信用し、間違いの許されない調査を命じてくださった事務部門の上司。「図書館のほうが向いている、司書の資格を取りなさい」と何度も説得してくださったA事務長。終生忘れることはありません。多謝。
                        
(2020年11月18日)
posted by ジャン吉 at 11:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月18日

心の中の娘と共に:(62)

卵とキウイ
 私は77歳のこれまで、「生卵」を食することはほとんどありませんでした。それは、生家で鶏を飼っていたことに起因するのかもしれません。
 生家では、卵を産ませるために、黒白の縞模様のプリマスロックという種類の鶏を十羽ほど飼っていました。そして、卵を産まなくなった鶏は、祖父がしめてさばいてとりなべにしていました。祖父がさばいたときに、鶏の体内に卵の黄身が何個か連なっているのを目にしていました。次に生まれる順番を待っている卵の運命を思うと、悲しかったことを思い出します。
 ところが最近、生卵を食べるようになりました。これは、姪の子供Kちゃんの影響によるものです。
 Kちゃんは、私の姪であるお母さんと一緒に、一週一度は我が家に遊びに来てますが、ある時期、来るたびに卵を食べていました。生卵を、Kちゃんの好きな胚芽米のごはんにかけて食べることもあれば、生卵だけをそのまま食べるのです。「醤油もかけないの?」と聞くと、「このままがいい」と言うのです。私には考えられないことでした。でも、子供にしては美味しいものに敏感なKちゃんの好むものに、私も挑戦してみようと思い、ある日卵を割ってかき回し、恐る恐る口に入れました。すると、美味しかったのです。「えっ?生卵ってこんなに美味しいものなの?」と驚きました。翌日から、毎日卵が消費されるようになりました。ただ、Kちゃんの好きな生卵は「らでっしゅぼーや(有機野菜の会)」の平飼い卵だけです。市販の卵を出しても、Kちゃんは箸をつけないので、「卵のにおいが違うのかしら?」と姪は不思議がっていました。私もまだ、市販の卵は試食していません。
 私の昼食は毎日麺類なのですが、どんな麺にでも生卵を付けて食べるようになりました。例えば、もり蕎麦だと、つゆに浸してから溶かした卵にも浸して食べます。私だけの楽しみだと思っていましたら、ネットで美味しい蕎麦屋を検索していたときに、蕎麦屋でも、この方法で食べられる店があったのには、思わずにんまり。
 せっかく毎日食べるのだから、卵の栄養面も知っておこうと思い、調べてみました。すると、食物繊維とビタミンC以外のすべての栄養素を含んでいることが分かりました。うれしいことです。最近は、卵の成分を利用した様々なサプリメントも出回っていて、卵の存在感が増してきているようです。
 こんなに美味しくて栄養価の高いものを食べるきっかけを与えてくれたKちゃんに感謝。

 そして次にキウイ(サンゴールドキウイ)です。
 娘が亡くなってから、私の朝食は変わりました。主食は、青汁か古代食くろご(黒米・黒大豆・黒カシス・黒ゴマ・松の実の粉末)を日替わりに。それにカルシュウム入りベビーチーズ1個。チーズは、牛乳を飲む習慣のない私の、カルシュウム源のひとつです。それにキウイ1個と、バナナ半分か季節の果物。
 キウイを食べるようになったのは、らでっしゅぼーやの果物の中では、キウイが求めやすい価格だったので、ときたま注文していたことが始まりです。
 キウイは酸味があって、私の好みの味に近いのですが、それでも毎日食べるようになったのは、栄養価が高いことが分かってからです。栄養成分も多いそうですが、特に、ビタミンCはレモン8個分以上、食物繊維はバナナ3本分で水溶性も不溶性もあり、と知っては、これはもう食べない理由はありません。
 卵にない栄養素のビタミンCと食物繊維が、キウイにはたくさんあるのです。キウイ1個と卵1個で、一日に必要な栄養素(必要量は別)をほとんど摂ることができるのです。
 それにしても、娘の食事療法のときに、もしキウイにこんなにビタミンCがあることを知っていたなら、レモンの端境期に苦労することもなかったのにと、いまさらながら悔やまれます。 
祥月命日 
 今日は娘の祥月命日です。昨日、娘の友達だったNさんから花が届きました。N さんは、丸の内で娘と職場が近所だったことから知り合った方で、毎年娘の命日に花を届けてくださいます。
 それから、娘が亡くなる一年前の今頃、「緑が見たい」という娘を車で迎えに来てくださって、郊外の自宅で、秋の実りの庭を見せてくださった方から、庭で収穫した柿とミカンと野菜を送って頂きました。あの時、娘と一緒に眺めた庭は、私の心に焼き付いています。
 娘が、私の心の中だけではなく、他の方の心の中にも生き続けていることを思うだけで、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
 もう四年も過ぎたというのに、今でもドアを開けて「ただいま!」と玄関に立つ娘の姿が思い浮かびます。
(2020年10月18日)
posted by ジャン吉 at 11:14| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする