2020年07月11日

心の中の娘と共に:(59)

ワイヤレスマウス
 同じメーカーの同じシリーズと思い、選んだパソコンですが、付属のマウスがワイヤレスでした。ひも付き(?)ではなくなったので、パソコンの周りもなんとなくすっきりした感じです。それに、新しいパソコンは機能がアップしていて使い勝手もよく、嬉しくて、毎日朝9時から夜の9時ぐらいまで、食事と散歩以外には、だいたいパソコンの前に座っていました。新しい玩具を買ってもらった子供と同じですね。それが、一週間ほど過ぎた頃、突然マウスが動かなくなったのです。あわてて以前のひも付きマウスに変え、ネットでワイヤレスマウスの故障について調べて、指示通りにやってはみましたが、動きません。仕方なく、その後もひも付きのマウスを使っていましたが、心の中では、「なんでこんなに早くダメになるの?」と嘆きつつ。
 数日後、水を届けに来てくれた姪に、マウスが動かなくなったことを話すと、「電池切れじゃないの?」とのこと。「まさか、まだ一週間ぐらいしか使ってないのに」と私。結果は電池切れでした。姪の話では、付属のマウスはマンガン電池で、裏側にスイッチがあり、使わないときには切っておかないと、あっという間に電池がなくなるということでした。そこで、少しでも長持ちするように、アルカリ乾電池に変えたのですが……。

 昨年初め、一人住まいの87歳の叔母の家を何十年ぶりかに訪れたときに、「リモコンが壊れて、五年前からテレビが一局しか映らない」と叔母が言いました。同行していた姪がテレビ本体のチャンネル切り替えボタンを動かしたら、他局も映りました。「もしかして、リモコンの電池が切れているのでは?」ということで、電池を変えたら問題解決。「これで好きな番組が見られる」と叔母も大喜びでした。
 今回のマウスの「電池切れ」は、気づかない点では、叔母の状況と同じようなものです。叔母は87歳ですが、私は77歳。五年も気が付かなかった叔母に比べて、私は十日ばかりで解決したのですが、どちらの問題も、若い姪の登場によって即解決したのは、年齢差と思っていいのかな、と思いました。年齢差の意味するところは、叔母や私たちの時代と異なって、姪の時代には、電池製品があふれていて、電池の知識も経験も豊富なので、当たり前に即解決に至ったのではということです。
 それにしても、使用する機器によって、電池の消耗がこんなに早いものもあるなど、思ってもみませんでした。77年生きていても、毎日が学びの日々なのですね。
 結局、アルカリ電池に変えてもひと月と持たなかったので、私の新しいパソコンはひも付きの古いマウスに落ち着きました。

蝿とりクモの生態 
 昨年の9月、わが家に新しいクモがやってきました。妹の家にいた「チャスジハエトリ」という家グモを、妹が捕まえてきてくれたのです。以前わが家に住んでいたのは、アダンソンハエトリグモという黒っぽいクモでしたが、今度のクモは茶色で小さなクモです。二種類のクモと同居してみて気づいたことがあります。
 以前のアダンソンハエトリグモという黒っぽいクモは、クモの巣を張らないので、エサを求めて壁や天井を歩いていました。私がテーブルに座っていると、傍まで寄って来て、逃げようともしませんでした。いつも姿を見ていると親しみも湧き、「あ、いるなあ」と、なんとなく安心もしていました。
 ところが、昨年妹が連れてきたチャスジハエトリクモは、わが家に来てから、一度も姿を見せていないのです。それでも、家具の隙間などに小さなクモの巣を張っているので、わが家に住んではいるのです。クモの巣にエサが引っかかるのを待つ習性のようです。それに、粘液(?)でしっかり固めた5〜10ミリぐらいの細長いごみも、ときどきあちこちに落ちているのですが、以前は無かったことですので、これも姿なきチャスジハエトリの仕事だと思います。ということは、私は姿を見ていないのですが、案外歩き回っているのかもしれません。
 同じ家グモでも、こんなに違う生き方をするとは驚きでした。私は、どちらかといえば、姿の見えるアダンソンハエトリグモの方が、好みと思いました。姿が見える方が存在感もあり、見れば言葉もかける気にもなります。心の中の娘に話しかける毎日ですが、姿の見えるものにも話しかけることができれば、一人住まいの私の心の淋しさが少しは和らぐというものです。

(2020年7月11日)
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2020年06月14日

心の中の娘と共に:(58)

すべてのことは自分が何かを学び、深まるために起こる
 三島由紀夫は小説「仮面の告白」のなかで、自分が産湯につかっている情景を主人公が回想している場面を描いています。創作とは思いつつも、三島由紀夫の記憶は生まれて間もなくからあるのではないか、などと思われたりもしているようです。では、実際にはいつから記憶は残るものなのでしょうか。
 今回、自分がウイルスに弱いことに気づいてから、幼児のときにも病気をしているのではないかと、記憶をたどってみました。
 幼稚園に入った5歳からの記憶はあるのですが、それ以前の記憶は、時の流れの中での、停止した場面としての記憶だけです。
 いちばん古い記憶は、戦争がまだ終わっていないころのものです。一つは家の縁側で祖母が風呂敷を広げて仏像や位牌を包んでいる場面です。もう一つは、「くうしゅうけいほう」と言いながら、家の裏の土手道を歩いている記憶です。その時に被っていた防空頭巾の模様が細かい格子柄だったことも記憶しています。一つ目の記憶は、空襲の時に逃げる準備だったようです。二つ目の記憶は祖父の物まねだったそうです。終戦の20年8月には、私は2歳5か月ですから、2歳ぐらいの記憶といっていいかもしれません。
 それから、布団の中にいて、天井を眺めていた記憶です。このときには、疫痢に罹っていたのだそうです。向かいの家の仲良しの男の子も罹り、その子は亡くなり、私が助かったことで、しばらくは外に出してもらえなかったそうです。疫痢は3歳か4歳だと思います。
 小学生のころにはトラコーマで眼科に通い、中学生のころには結核に罹っていますが、学校を休むまでには至らなく、パスという粉薬を飲んだのを覚えています。
 前回のブログで、「病気に弱いから、AB型人口は他の血液型に比べて少ないのかなあ、だとしたら、これまで生きてこられた自分に感謝しなくては……」と書きましたが、その後病気のリスクが血液型で差が出る研究結果が、2009年に米国国立がん研究所で発表されていたことを知りました。そこに「O型は感染症のマラリアに強いといわれている。マラリア患者が多い赤道付近の先住民のO型が多いのは、マラリアに打ち勝って生き延びてきたとみられている。」とありました。ということは、「病気に弱いから、AB型人口は他の血液型に比べて少ないのかな あ、」という私の考えは単なる推測というよりも、案外真実をついているのかもしれない、と思いました。
 実際、世界的にはO型人口がいちばん多いそうです。それに比べてAB型人口は、存在しない国や、あっても2,3%が多く、日本の9.4%という数字は世界的にはトップにちかい比率らしいのです。島国であることや、鎖国などで日本が孤立していたことによって、AB型が守られてきたのかなあと、またまた私の想像が続きます。

 疫痢、トラコーマ、結核、みな感染症です 。私は幼児のころから病気に感染し易い身を抱えて生きてきたのですね。今回のコロナウイルスによって、自分の病歴を思い返し、病気、特に感染症に弱いことを知る、という学びを得ることができました。いつだったかネットで拾った誰かの言葉が思い浮かびました。
 「すべてのことは自分が何かを学び、深まるために起こる」
紫陽花
 6月14日。2016年6月14日は、娘バルが一般病棟から緩和ケア病棟に移動した日です。その日、緩和ケア病棟では、音楽室で小さなイベントが行われていました。折り紙でアジサイの花や葉を作り、台紙に張り付ける作業です。熱もあり、鼻腔酸素吸入器を付けた状態だったバルも参加しました。その時の娘の作品は小さな額に収まって、我が家の廊下の壁にかけてあります。私は廊下を通る度にそれを見て、娘の細くて柔らかな手まで思い出し、涙を流します。
 ベランダには、娘のカンツォーネの会の友達から頂いた紫陽花が、我が家で三度目の花を咲かせています。
(2020年6月14日)
posted by ジャン吉 at 10:08| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月23日

心の中の娘と共に:(57)

 AB型はウイルスに弱い?
 前回のブログで、「コロナ肺炎を攻撃する「抗a抗体」を持っていない私」を書きました。これまで病気で入院したことが三度ありましたが、そのすべてがウイルス性の病気だったことに思い至ったことで、これまで気づかなかった、AB型の自分がウイルスに弱いことを発見しました。その後、身近なAB型の人と病気の関係をあれこれ思い出してみました。
 私の父はAB型でしたが37歳で死亡。ここのところ何度か登場している父の妹のひとり、東京近郊に住む叔母もAB型です。すでに病気で亡くなっている叔父もAB型で、その子供である従弟もAB型です。この従弟も、大学院生のときに、ウイルス性の病気で入院したことがあります。
 以前は、輸血を必要とするときのために、血液銀行に自分の血を預けておく預血という制度がありました。AB型の叔父が入院しているときに、輸血が必要だったために、私と従弟3人とで日赤に預血に出向いたことがありました。叔父の輸血のためにAB型が3人とA型が一人。その従弟の一人は40代で亡くなっています。
 姪の子供Kちゃんのお父さんもAB型ですが、やはり子供のころにウイルス性の病気に罹ったことがあるそうです。
 預血でもう一つ思い出しました。大学図書館に勤務していたときに、他学部のAB型の図書館員が手術予定で、AB型の供血者募集の回状がまわってきました。その頃の私の所属していた図書館のスタッフは十人ほどでしたが、AB型が5人も名乗り出たのです。日本人のAB型の割合は1割と言われていますので、この思いがけない結果に驚きました。預血の必要だった病気の方は若くして亡くなりました。私の同僚だったAB型の一人は退職後間間もなく病気で亡くなったと聞きました。他の人たちは元気でいるかしら……。
 ついでに世界の国別血液型を調べてみましたら、AB型が1割を超える国はなく、日本の9,6パーセンントは多いほうだとわかりました。
病気に弱いから、AB型人口は他の血液型に比べて少ないのかなあ、だとしたら、これまで生きてこられた自分に感謝しなくては……、などと思いながら、コロナウイルスの収まるのをじっと待っているのです。

岩手県、頑張れ!!
 コロナウイルスの感染者「報告無し」の岩手県は、私の故郷県でもあります。日本国中感染者が出ているのに、岩手県は頑張っているなあ、と思いながら毎日の動向を見守っていました。
 私が、ウイルス性の病気で二度目の入院をしたときに、入院先の大学病院で、ウイルスの感染元をあれこれ聞かれました。主治医が「あなたの年頃だと、戦後の混乱期に育っているので、大抵の人は抗体を持っているのですが、持っていないあなたは珍しい」と、言われたことを思い出しました。
 戦後の混乱期とはいっても、私の育ったところは岩手県の、海と山に囲まれた小さな町ですから、ウイルスに感染するような環境とは、ほど遠かったのかもしれません。故郷を離れて60年近くなりますが、いまでも岩手県はウイルスにとっては苦手な環境なのかもしれません。岩手県、頑張れ!!

近況あれこれ
パソコンが身代わり感染?
 パソコンが動かなくなり、買い替えました。
 休みなく、朝から晩まで働いてくれたので、疲れから、私の代わりに「感染」したのかなあ、と思いました。ここ数か月、使用中に画面が固まることが何度かあり、おかしい?とは思っていました。ステイホームで、自宅で仕事をしているKちゃんのお父さんに、新しいパソコンの設定などをしてもらいました。
 今回から、新しいパソコンでのブログ掲載です。
      朝顔につるべとられてもらい水(加賀の千代女)
      ウイルスにパソコンとられてもらい泣き(おら女)
     (「パソコンの悲しみを察して持ち主の私がもらい泣きした」というような意で、
      俳句ではなく、パロデイです。)
                       
(2020年5月20日)

 
posted by ジャン吉 at 10:52| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする