2017年10月18日

むなしい日々:(35)

 思い出すことなど

 娘が旅立ってから一年たちました
 娘バルが亡くなってから一年。月日の経つのは早いものです。亡くなって数か月は、泣いてばかりいました。今でも泣かない日はありませんが、それでも少しずつ日常の生活に立ち戻ることで、気がまぎれるようにもなりました。
 今日はまた「ホーザ:ブラジルからのおくりもの:日本でがんと闘ったバルの記録」(ISBN978−4−344−91426−1)の発行日でもあります。一周忌といっても、娘はクリスチャンなので特別な行事は無く、本の発行が娘への何よりの供養となりました。
 発行日から4〜5日後には書店に並ぶと思います。どうしたら本が手に入るかと何人かの方に聞かれました。部数が少ないので、大きな本屋にしか置いてないかもしれません。小さい本屋でも、注文すれば取り寄せてくれますし、ISBNでも検索できます。アマゾンではすぐ手に入ると思います。心待ちにしていただいている皆さんに親子で感謝。
メモリアル聖路加
 14日に、聖路加国際病院の緩和ケア病棟主催の遺族の会が行われました。昨年7月から今年の6月までの1年間に亡くなった人を対象にした会です。旧館2階のチャペルでの祈りとコンサート、その後ロビーに移動し、茶話会という内容の案内状を頂いていました。
 娘が亡くなってからは病院に足を向ける気にはなれませんでしたが、1年ぶりに聖路加国際病院に出向きました。最初は、娘が12年近く通った病院の新館に寄りました。1階の、入院中毎日通った売店にも寄ってみました。娘が好きだったミニッツメイドの「朝バナナ」を、入院中にこの店でよく買ったことを思い出し、棚を見たら、レモンのものしかありませんでした。少し寂しい気がしました。それから2階のブレストセンターの前まで行き、診察の日には必ずバルと一緒に昼食を食べた長椅子に座ってみました。ブレストセンターの中から「お母さん、終わりましたよ」と娘が出てくる気がしました。それからいったん外に出て遺族の会の行われる旧館に向かいました。
 私はバルの遺影と一緒に参加しました。ブラジルのイタリア人街で生まれ、カソリック系の学校に通い、近所の教会が遊び場だった娘にとって、宗派は異なっても教会はなじみのある場所なのです。ですから遺影とともに参加し、コンサートのときには「バルのすきなヴァイオリンとピアノの曲ですよ」と、演奏者のほうに写真を向けて一緒に聴きました。賛美歌を歌うときにもバルと一緒に歌っている気持ちでした。
 茶話会の場所に移ると、そこでは入院中お世話になった看護師さん、担当医、ボランティアの方々が出迎えてくれました。ボランティアの一人は、「花と音楽と人が好きでしたね。そしていつも笑顔でした。私たちの心の中にも多くのものを残してくれました」と言ってくださいました。もう一人のボランティアの方は、「娘さんの臨終の日には休みだったので知らなかった。どうして呼び出してくれなかったの」と言ってくださいました。
 娘の担当だった看護師さんとも話をしました。「マルさんのことは忘れられません。笑顔が浮かんできます」と言っていました。そして、音楽室で、いつもバルがリクエストしていた「糸」を弾いて歌ってくれた音楽療養士の方に、今日も「糸」をお願いし、看護師さんも一緒に聴いてくれました。
 本のタイトルカバーを持って行きましたので、出版の話もしました。担当医には「がんはなぜ消えたか、を本に書きました。患者の家族という立場からの推定であることも書いてあります」などを話しました。先生は入院中と同じやさしさで、私の話を聞いてくださいました。
 2時間はあっという間に過ぎ去りました。最後に、看護師さんとチャプレンと娘の遺影を抱いた私で写真を撮ってもらい、会場を後にしました。
 思い出のあまりにも多い病院に思い切って来てみたことで、帰りには、なにか吹っ切れた気持ちになりました。その足で日本橋の三越に寄り、バルの好きなイタリアのハムを買って帰りました。
(2017年10月18日)
posted by ジャン吉 at 10:08| Comment(2) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

むなしい日々:(33)

 思い出すことなど
 来月の18日は娘の祥月命日です。そして私とバルの生きた証しとしての本が発行されます。タイトルは『ホーザ:ブラジルからのおくりもの:日本でがんと闘ったバルの記録』(幻冬舎刊)に決まりました。

立ち話(続々々)
 娘が立ち話をしていた一人に、「猫のおばさん」と娘が呼んでいた女性がいました。この方は、毎日買い物に出かけるので、病休に入っていた娘が出会う回数も比較的多く、よく話をしていたようです。
 私たち親子の住んでいる棟の前は公園ですが、後ろのほうにも芝生の庭と藤棚があり、藤棚の下にはベンチが二つ置いてあります。その脇を小道が通っています。小道の左側には季節によっていろいろな花が咲いているので、娘はこの小道が大好きでした。花の好きな友だちが遊びに来ると、わざわざ案内し、花を楽しんでもいました。
 夕方になると、藤棚の下のベンチには野良猫が寄ってきます。そしてその猫にエサをやる人が集まってきます。猫は真っ黒な一匹のほかに数匹。エサをやる人も数人。
「猫のおばさん」もその一人です。毎日のようにベンチに腰掛け、他の人たちと話をしながら猫にエサをやっています。ブラシで猫の毛を梳くおじさんも見かけました。
 それが、ある時から一人もエサをやる人が来なくなり、猫だけが集まっているのが目につくようになりました。間もなく娘が「猫のおばさん」からその理由を聞いてきました。なにかトラブルがあり、続けられなくなったというようなことでした。
娘が亡くなってから「猫のおばさん」は、私とも話をするようになりました。
 昨日の夕方、散歩から戻ってくると、藤棚の下のベンチには何人かの人がいて、「猫のおばさん」も笑顔で猫の相手をしているのが見えました。小さな空間の穏やかな光景。幸せというのは、このようななにげない日常の積み重ねなのかもしれないと思いながら、私は立ち止まってしばし眺めていました。
娘の誕生日
 9月19日は娘の55歳の誕生日です。昨年の誕生日に娘が「もっと頂戴」と催促して食べた肉まんのことを思い出し、らでぃっしゅぼーや(有機野菜の会)の肉まんを蒸かして、娘の遺影の前に供え、私も食べました。昨年の誕生日に撮った写真を見ながら、泣きのひと時を過ごしました。 

近況あれこれ
シルバーパス
 今年もシルバーパス更新の時期がきました。シルバーパスは、東京都が170億円の都税を使って、70歳以上の都民に、都営すべてと私営の一部交通機関を、一人年間1000円もしくは2万510円で利用できるというものです。簡単に言えば、非課税の人は1000円、税を払っている人は2万510円ということらしいです。
 更新の度にいつも疑問に思うのは、1000円と2万510円では20倍の開きがあることに、どのような根拠があるのだろうかということです。非課税の人が1000円なら、せめて税金を払っている人は2000円というのなら、2倍ぐらいならと納得もしますが、20倍を払い続けるわが身としては納得のしようがありません。長い間働いて税金を払い続けて、年金生活になっても税金を取られ続け、税金を払っていることが原因で、東京都の福祉政策の一環というのに交通費まで20倍も払わなければならないなんて、どうかしていませんか、小池さん、と言いたくなります。70歳過ぎの都民の交通費の補助に170億円も税金を使っているなら、個人の支払う交通費は一律にするべきではないでしょうか。
 70歳になって、最初のシルバーパス申請のとき、20倍支払う理由を係員に聞いてみたところ、「議会で決定したことだから」という答えしか返ってきませんでした。では、議会にこれを提案した議員(政党)はどのようにこの20倍もの開きの差を説明し、議会での賛成を得られたのでしょうか。機会があれば、近所の区民か都民相談所にでも出向いて聞いてみたいと思っています。ちょっとグチってみました。
(2017年9月30日)
 
posted by ジャン吉 at 10:14| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

むなしい日々:(32)

 思い出すことなど

立ち話(続々) 
 同じ階に88歳の女性が住んでいます。元気な姿をしばしば見かけます。週に3回は電車で5駅離れたところにある施設に、ボランティアで洗濯物をたたむ仕事に通っている、と近所の人から聞いたことがあります。
 この方は、あまり立ち話などしないらしくて、見かけたときにはいつも静かに歩いている姿でした。娘さんや息子さんが都内に住んでいるそうですので、一人暮らしでも寂しさを感じないでいるのかもしれません。私も会えば挨拶を交わす程度でした。私の娘もこの方の話をしたことがありませんでした。最も、娘は仕事で昼は留守でしたから、会うこともほとんど無かったと思います。
 数か月前にこの方と買い物の帰りに出会い、娘が亡くなったことを伝えました。すると、とても驚いた様子でしたので、私は以外に思いました。娘との接点がほとんど無い人と思っていたからです。
 「娘さんと初めて話をしたのは、今日のように買い物の帰りでした。買い物をしているうちに雨になり、傘も持っていなかったので、雨の中を歩いていましたら、後ろから傘をさしかけてくれたのがお宅の娘さんだったのです。若くして亡くなったのですね」、と話してくれました。ここにも、娘の思い出を胸に生きている人がいる、ということに私の心は慰められました。
一年前
 娘が亡くなってから今日で11か月過ぎました。そして明日19日は娘の55歳の誕生日です。昨年の誕生日当日は、38度2分の熱と痛みもあり、食事のとき以外はベッドで眠っていました。それでも昼は起きてソファーに座り、茜ちゃん夫婦と私の友だち宮内さんと一緒に、中国料理を楽しみ、夜はブラジル人の友だちのお母さま手作りのブラジル料理と、カンツオーネの会の石川さん持参の赤ワインを一口。翌日から少しずつ元気が無くなっていきました。この日がバルの最後の比較的元気な日でした。
 今年の誕生日には、私ひとりで昨年の思い出と共に一日を過ごそうと思います。

近況あれこれ
野菜冷かけそば
 6月からヨガを再開したので、その帰りには以前通り白山上の蕎麦屋「満寿美屋」に寄っています。
 一昨年の夏には野菜冷かけそば(夏バージョン)が気に入って、寄るたびに食べていました。昨年は娘の看病で病院泊まりの日々でしたので、食べる機会がありませんでした。そして今年7月に入ってから、やっとメニューに載るようになり、目にしてすぐ注文しました。ところが、出てきたのは、私の食べたい野菜冷かけそばではなく、そばの上に野菜が載っているところまでは同じですが、かけて食べるつゆが付いてこないのです。不思議に思ってそばを箸でかき分けてみたところ、下のほうに汁があったのです。私が以前食べて気に入った野菜冷かけそばは、そばの上にオクラや茗荷、キュウリ、ナスなどの薄切りが載っていて、そこに汁(そばつゆ)をかけて食べるものでした。野菜には下味が付いていないので、濃い目のそばつゆがよく合うのです。でも、今年は、そばつゆほどの濃い汁ではないので(入っている汁の量が少な目でもあり)、そばにも野菜にも、いまいち物足りなさを感じました。以後、同じ夏バージョンの冷やしきつねに戻りました。こちらはもちろん汁をかけて食べます。夏の楽しみが一つ減りました。
(2017年9月18日)
posted by ジャン吉 at 09:16| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする