2020年01月18日

心の中の娘と共に:(52)

2019年を振り返って
 私の家から電車で片道1時間半かかるところに、87歳の叔母が住んでいます。昨年1月に、部屋の中で身動きできないで、三日もうずくまっていた叔母を発見してから、この一年を妹や姪親子と様子見に通いました。最初は一週一度、その後叔母の息子も顔を見せるようになり、介護も入ってからは、ひと月に一度。その度に叔母の好きな食料を持参しました。毎回掃除をし、12月には、何十年も替えたことがなくて黄ばんだ襖を、量販店から壁紙や両面テープなどを購入して持参し、姪が替える作業を行いました。暗い部屋が明るくなった、と叔母が笑顔を見せました。肺炎や骨折、立ち眩みなどで大変な一年でしたが、一週間前に訪れたときには、家の中をゆっくり歩いていました。この日私の甥が連れて行った、1歳と4歳の子の姿を目にして、本当に嬉しそうでした。

 昨年のことを振り返ってみて、いちばん心が痛むことは、近所に住んでいる姪の子共Kちゃんのことです。
 前回のブログ「Kちゃんは学校へ行けなくなった」は、抑えて、抑えて書いたものです。ブログで詳細や経過を書くには、差しさわりがありすぎました。昨年4月に三年生になったときから、Kちゃんの苦難が始まり、今に至るまで状況は変わりません。勉強は家で姪が教えています。今月初めには、わが家でKちゃん親子と、冬休みの宿題を終わらせました。算数は姪が、国語は私がみました。そして三学期の初日、Kちゃんは学校へ宿題を提出しに行ったかどうか……。(後日、やはり登校できなかったと聞きました)
 Kちゃんは、一週に一度は、わが家に遊びにきます。お母さんに言えないことも私に話してくれることがあります。ある日こんなことを言いました。「お母さんには言ってないけど、Kちゃんは自殺しようと思って、友達と場所を探して歩いたことがあったの」と。その話は私の心を突き刺しました。私は、生きたくとも生きられなかった娘バルの話をして、「大好きなバルちゃんが亡くなって、私はとても悲しくて、生きているのが辛かった。もしKちゃんが自殺したら、Kちゃんのお父さんとお母さんがどんなに悲しむことか。そしてKちゃんを大好きなすずちゃん(私の妹で、Kちゃんの祖母)も私も、とても悲しいよ。Kちゃんは周りのみんなから愛されていて、幸せな子なのよ。バルちゃんは亡くなる一週間前まで、歩けないのに歩こうと頑張ったの。生きていてまだまだやりたいことがたくさんあったの。でも生きられなかった。Kちゃんもやりたいことがあるでしょう?Kちゃんを大好きだったバルちゃんのためにも生きなくちゃね」、と話しました。命の大切さをこれからも機会があれば話していこう、と思いました。春がきて、4年生の新学期が始まったら、Kちゃんが学校へ行けることを、心から願っています。

 4月からはボランティア団体に参加させて頂き、外国人に日本語を教えるようになりました。ボランティアの活動は一週一回です。ここではマンツーマンで、一人の学習者に一人のボランティアが相手をしています。
 初めての経験で、戸惑いもありましたが、あちこちで開催されている日本語教師のセミナーを受講するなどして、学びながら何とか続けられそうです。詳細は今後のブログで取り上げたいと思います。

 10月18日は、娘の三度めの祥月命日でした。娘を思って泣かない日はないのですが、それでも少しずつ、過ぎゆく「」に癒されているように思います。

 昨年読んだ本は、図書館から借りた本が265冊、自分で購入したり友達から借りた本が56冊、計321冊でした。Kちゃんのこともあって、学校問題を扱った本も何冊か読みました。その一冊、『モンスターマザー』は、学校のいじめが原因で息子が自殺したと訴え続けた母親が、実は加害者だった、という内容でした。私には、本当に学校側には責任が無かったのかどうかは読んだ限りでは判断がつきませんでした。
 これまで、私には縁の無かった、小学校というところを垣間見たら、多くの問題が重なり合って崩れ落ちそうに見えたのは、私の弱くなった視力のせいばかりではない気がします。

 2010年3月から始めたブログも、3月で10年を迎えます。こんなに長続きしようとは、始めた頃には思ってもみませんでしたが、書くことが好きな自分を発見したこともあり、今では読書、麻雀、ヨガに続く趣味としての位置を占めるまでになりました。
 これまで書いたブログは210篇。昨年は21篇書き、年間アクセス数16351、訪問者数9321人でした。読んで下さる方の存在が、書き続けることへの、何よりの励ましとなっております。
 ありがとうございました。そして今年もよろしくお願いいたします。

(2020年1月18日)

 
posted by ジャン吉 at 10:15| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月01日

心の中の娘と共に:(51)

 Kちゃんは学校へ行けなくなった

  Kちゃんは学校へ行けなくなった
  学校が大好きだったのに
  勉強が大好きだったのに
  友達と遊ぶことが大好きだったのに
  Kちゃんは学校へ行けなくなった

  Kちゃんはよく周りを見ている
  見て、考えて、判断してから行動する
  他の生徒のことも、先生のことも
  Kちゃんはいつもよく見ている
  Kちゃんはおとなの観察力を持っている
  
  いつの頃からか
  朝になるとKちゃんは熱が上がった
  朝になるとKちゃんは足がしびれた
  朝になるとKちゃんはお腹が痛くなった
  そして学校を休む日が多くなった
  
  席を替えたというので
  Kちゃんは久しぶりに教室に入った
  Kちゃんは勉強したかったのに
  教室は騒がしかった
  騒がしくて勉強ができなかった
  
  学校へは行けなくても、友達と遊びたくて
  Kちゃんは校門の外で、下校する友達を待った
  友達と一緒に遊ぶKちゃんは9歳の子どもだった
  笑顔がいっぱいはじけていた
  学校へ行けない子には見えなかった
  
  Kちゃんは学校へ行けなくなった
  学校が大好きだったのに
  勉強が大好きだったのに
  友達と遊ぶことが大好きだったのに
  Kちゃんは学校へ行けなくなった

  だが、春がきて新学期が始まれば、
  Kちゃんは学校へ行けるだろう
  教室でみんなと勉強できるだろう
  放課後は友達と遊べるだろう
  きっと、きっと
                        (2020年1月1日) 
posted by ジャン吉 at 09:56| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月17日

心の中の娘と共に:(50)

茶会
 私がボランティアとして参加している、外国人との交流団体「地球家族」の主催で、茶会が開かれました。講師は国際交流機関から紹介していただいた表千家の方です。そして、お客様は「地球家族」で日本語を学んでいる外国人学習者で、当日参加可能な10人ほどです。 
 私は、世話役として早めに家を出ました。家を出がけに、ふと思い立って、娘の遺品の抹茶茶わんを持参しました。三年前に亡くなった娘バルにも、茶会の雰囲気を味わってもらおうと思ったのです。
 会場は、わが家から歩いて10分ほどのところにある、区の集会所の和室でした。62畳の広い和室で、普段手入れをしないのか、障子の至るところが破れていたのには、驚きました。何とか2枚だけ破れていない障子を入れ替えて確保しました。その障子の前の一角に、講師の方が持参してきた風炉先屏風(ふろさきびょうぶ)を置きましたら、それだけでも、なんとなく茶室の雰囲気が感じられました。そこに風炉を置き、茶釜をのせ、水差しや柄杓などの道具を置きましたら、だだっ広い和室の一角が、茶室に生まれ変わりました。

 茶釜を目にしたときには、岩手県大船渡の生家のいろりで、いつも湯を絶やさなかった茶釜を思い浮かべていました。そういえば、確か「鉄瓶」ではなくて単に「かま」と言っていたような気がします。来客の多い家でしたから、いろりに火がある限り、釜から湯煙りが上がっていました。沸いてくると音がするので、家人の誰かがふたを少しずらして、お湯が吹きこぼれないように気をつけてもいました。懐かしい……。そんな思いでの詰まったわが家も2011年の災害で失われてしまいました。東京のわが家では、いつの日かの帰省時に、新幹線の水沢駅の売店で買い求めた、南部鉄の小さな急須でお茶を入れています。

 外国人へのお点前が終わった後に、世話役のボランティアの人たちにも点てて下さるということになり、思いがけず一服頂くことになりました。若い頃に、一通りの作法は教えて頂いたことがあったのですが、すっかり忘れてしまい、他の方の作法を見ながら、娘の抹茶茶わんで頂ました。
 そのときに、講師の方が、娘の茶わんの色絵を「京都の高台寺の紋です」と教えて下さいました。
 私の娘はブラジルからの留学生でした。ホームステイ先は姫路の篤志家の方でしたが、奥様が京都の人ということもあって、来日直後は京都には何度か連れて行ってもらったようです。
 その後、娘は関西から東京に移り、縁あって私の娘となり27年暮らして三年前に病で亡くなりました。娘がわが家に引っ越してきたときに持参した僅かな荷物の中に、この抹茶茶わんがありました。娘はこの茶わんのことには一度も触れたことがなかったので、ホームステイ先でお茶のお稽古に通ったそうですから、そのときに使ったものだと思っていました……。
 今回の茶会で思いもかけず、京都の高台寺の紋と分かり、思い出したことがありました。関西での細かい話はほとんど口にしない娘でしたが、珍しく「お寺の中は冷たくて、あまり好きではなかった。お茶(抹茶)も美味しいと思わなかった」と、言ったことがありました。娘はきっと高台寺に連れて行ってもらっていたのですね。そこで茶会が開かれているそうですから、その茶会に参加したのかもしれません。そして連れて行って下さった方がこの茶わんを求めて娘にプレゼントして下さったのでしょう。
 娘の抹茶茶わん「高台寺 在銘鳴滝 菊紋 桐紋 五七桐 京焼」は、わが家で三十年過ごしてから、やっとその来歴がわかりました。今回の茶会は、外国人学習者のための催しでしたが、娘の茶わんのことが分かったことで、私にとっても有意義な茶会となりました。
              
(2019年12月17日)

 
posted by ジャン吉 at 10:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする