2019年10月18日

心の中の娘と共に:(47)

娘バルの三度めの祥月命日を迎えて
 親しい友達のMさんと、何年も、月に一回の「一杯」を楽しんでいます。最近は、文京区の蕎麦屋で一杯なのですが、二人ともそばが大好きですので、店の座席に落ち着くとすぐに、二時間ぐらい後の〆に食べるそばを、何にしようかと悩みます。昼食べるときには、私は、冬は温かいきつねそば、夏はもりか冷しきつねに決まっているのですが、夜、飲んだ後に食べるそばにはちょっと悩みます。
 この夜は、夏の終わりともあって、次回の「一杯」にはメニューから消えている夏バージョンの「きのことおろしのぶっかけ」を食べることにしました。二人とも同じそばを頼むことはまれですが、そんなわけで、この夜は同じでした。
 飲みながらのいろいろな話の中で、Mさんは、意外に真面目な顔つきになって、「職場で気がついたのだけど、友達のいない人が結構いるのよね。友達がいないなんて私には考えられない。」と言いました。彼女は今の職場に勤めてから二年目です。これまで仕事を覚えることに集中していたのですが、最近は落ち着いて、同僚の日常なども少しずつ見えてきたようです。
 「私の周りにも、友達のいない人がいます。幸せとは愛と友情が人生にあること、という言葉があります。誰が言ったかは覚えていないけど、私もそう思います」。そう言いながら、私は娘バルのことを思い浮かべていました……。

 私にとって娘バルは愛する者でしたが、同時に友達のような存在でもありました。
 バルと暮らし始めてから、周りの人達に、「あなたは(性格が)丸くなった」とよく言われました。そんなにつっぱって生きていたわけではありませんが、根が真面目と自他ともに認める存在だった私は、周りの人達にとってはつっぱっているように見えたのかもしれません。ちなみに、ネットで検索してみますと、根が真面目とは「優しい、何事にも手を抜かない、面倒見がいい、完ぺき主義、素直、頑固……」などとありました。
 出会った最初の頃、バルから「お母さんは目が怖い。でも、怖い人ではない」と言われました。やはり、私はそのような印象を、周りに与えていたのでしょうか。
 バルとの生活は、親子としての面と、友達としての面との両方があったと思います。私に無いもの、欠けているものをたくさん持っているバルの存在によって、私の心にはそれまでの人生になかったものが生まれ、育ってきたのだと思います。その結果が、周囲の人に「丸くなった」と思われたのでしょう。娘の乳がんの転移から亡くなるまでの5年ぐらいを、「大切な日々」としてブログに書きましたが、バルと生活を共にした27年間すべてが、私にとっては大切な日々であったと、今は心から思っています。
 バルの死によって、私は幸せの要ともいえる「愛と友情」の両方を失ってしまいました。私の幸せは消えたかのように思われました……。

 勤めていた頃、店を閉めるまで通った文京区本郷の「金寿司」の主人に、「あんたは友達が多いね」と言われたものです。歳を重ねるにつれ、友達も限られてきてはいますが、その限られた友達の存在で、私はかろうじて、娘バルのいない日々に耐えることができているのだと思うようになりました。最近読んだ小説の中に「人の幸せは、他人との出合いで決まるのかもしれない」ということが書いてありました。私のこれまでの人生を振り返ってみますと、確かに人との出会いで人生の節目を繋いできたように思われます。
 娘が亡くなってからは、娘の親しかった友人知人も私に声をかけて下さいます。今日の祥月命日にも、カンツオーネの会の友達が来宅、娘の遺影を前に、ひと時を過ごしました。花を送って下さった友達。美味しいお酒を送って下さった方。娘バルを思い出して下さいまして、ありがとうございます。そして、私にまでお気遣い下さいましてありがとうございます。

 バル、ありがとう。あなたのいない日々は悲しくて、生きることさえ虚しいと思うこともあったけど、毎日「心の中の娘バル」と話し、私の友達やあなたの友達と、あなたの思い出を語ることで、悲しみや寂しさを紛らわすことができるようになりました。
 ママエに残されたこれからの日々も、「心の中の娘バル」と共に過ごしていきたい。心の中にあなたがいる限り、いつもあなたへの感謝と、生かされていることへの感謝の気持ちを持ち続けていきたい。あなたは私の人生で唯一無二の存在です。
(2019年10月18日)
posted by ジャン吉 at 19:22| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月28日

心の中の娘と共に:(46)

再びハエトリグモとの同居
 かなり前のブログに、以下のようなことを書きました。
 「我が家にはクモ(蜘蛛)が一匹住んでいます。三十年住んだ場所から三年前に越してきたのですが、荷物と一緒に同じクモも引っ越してきました。家グモで、身体は小さく、巣を作らないし、虫を食べてくれるので、虫嫌いの娘が唯一飼っている(?)虫なのです。
 日中は、家でパソコンに向き合うか、読書で一日を過ごしている私にとって、時々姿を現すクモはいちばんの友達です。今年に入ってふた月ばかり姿が見えない時には寂しさを覚えました。妹に、替わりのクモを捕まえてほしいと頼みさえしたのですが、替わりが来ないうちにまた姿を現し、ほっとしました。それからは頻繁に現れるようになり、ある時はパソコンのそばまで近寄ってきたので、「ごめんね」と言いながら指でぽん!と飛ばしました。そのうちに、二匹いることに気が付きました。一匹しかいなかったのに子供が生まれたのか、伴侶を探して来たのかは謎ですが、しばらくは様子を見ることにしました」。

 その後数年は、震災や娘の病気や入院などで、クモに気を配る余裕もなく過ごしてきました。
 娘が亡くなって三年になります。最近ふと、ここ数年姿を見せなくなったクモのことを思い出しました。もう寿命で居なくなったのだろう、と思い、過日妹に家グモを一匹捕獲してくれるよう、頼んでおきました。
 頼んでから二週間後、わが家にクモがやってきました。妹の家にいた「チャスジハエトリ」という家クモを、妹が捕まえてきてくれたのです。以前わが家に住んでいたのは、アダンソンハエトリグモという黒っぽいクモでしたが、今度のクモは茶色で小さなクモです。
妹は、捕まえてからわが家に持ってくるまでの一週間ぐらいを、高さ10cmぐらいの広口ビンに入れて、毎日観察(?)していたそうです。生きエサを与えるのに、最初はコバエを一匹捕まえてビンに入れたら、あっという間に消えた(食べた)そうです。その後、蝿を捕まえて入れたら、クモは、自分の倍もある蝿をかじり、残りはクモの糸で絡んでビンの中にぶら下げていました。わが家には、蝿がぶら下がった状態で届きました。
 娘の遺影のそばに、いつも花を活けているのですが、そこにコバエがわくこともあるので、ビンから出したクモを花の上に放しました。そして、ちょっと目を離しているうちに、すでにクモの姿が見えなくなっていました。それでも、今日からは私一人ではなく、同居するものがいると思うと、なんとなく心休まる気持ちがするのです。

 妹の運んできたクモが、わが家に住むようになってから、いつの間にか、コバエの姿が見られなくなりました。クモさん、ありがとう。あなたがせっせとお仕事をしてくれたおかげですね。

近況あれこれ
冷やし中華への思い
 メン(麺)食いの私の昼食は、一年を通じてほとんど麺類です。毎週金曜日がヨガで、その帰りにそば屋に寄るほかは、家で食べますので、らでぃっしゅぼーや(有機野菜の会)から毎週何種類かの麺を取り寄せています。日本蕎麦、ぶっかけうどん、冷やし中華、焼きそばなどです。
 夏は冷やし中華を週三日は食べていました。つゆはもちろんのこと、麺がとても美味しいのです。具は、キュウリ、トマト、姫パブリカ、煮シイタケ、味付けいなり、丹沢ハム、をそれぞれ適当な大きさに切って乗せます。他に紅ショウガも乗せます。卵は溶いてお椀に入れて置き、麺をつけて食べます。(余談ですが、いま生卵を食することにもハマっているのです。)すべて材料はらでぃっしゅぼーやから取り寄せたものです。
 ところが、らでぃっしゅぼーやの冷やし中華は8月で終わってしまい、私の楽しみがひとつ減ってしまいました。残念……。
(2019年9月28日/次回更新予定:10月18日)
posted by ジャン吉 at 13:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月14日

心の中の娘と共に:(45)

アナウンスの言葉
 久しぶりに不用品買い上げの業者の車が回ってきました。いつも呼びかけの声を車から流しているのですが、「壊れていても構いません」という部分を聞くたびに、私の胸の中で違和感が持ち上がっていました。
 最近、自分自身が使ったことで、やはり違和感は間違えではなかったのかもしれない、と思い、調べてみることにしました。私が使ったのは、中華やさんの、「出前が遅くなるかもしれない」と、お店の人が言ったことに対して、「遅くなっても構いません。お願いします」と答えたことです。
 調べた結果、「構いません」は、自分が「気にしない」「差し支えない」ことを示す場合に使う、相手に許可を求められた場合、自分の都合で何かをする許可を得る場合や、確認を取る場合に使うことができる、とありました。
 お客様の方から、「壊れていても構いませんか?」と聞くのならいいのですが、不用品買い上げの業者がお客様に向かって「構いません」というのは不適切な言い方で、「壊れていても差し支えありません」とでも言い換えた方がいいかもしれない、と思いました。

 私は十代の頃から、言葉に対して敏感なところがありました。実家の近所のある会社の標語を目にしたときにも、おかしい?と感じて申し入れをしたことがありました。「安全は急ぐときほど慎重に」という標語でした。慎重に対処した結果が安全につながる、ということならわかりますが、「安全」は名詞で、それを慎重に、の意味が分かりませんでした。60年ほど前のことですが、今でも覚えているのは、私の申し入れにきちんと説明がなかったので、私の記憶から消えないからです。最近、ネットで安全関係の標語を探してみましたら、「安全は急ぐときほど慎重に」と同じような標語がいくつか出てきましたので、品詞を、あいまいなままに使っているのかなあ、あるいは標語だけに許される許容範囲があるのかなあ、などと思ってみましたが、いまだにすっきりしないままです。
 大学で国語表現法という科目がありました。私は、先生が問題を黒板に書き終わるときには、答えを全部わかっていました。この科目の試験のとき、故郷に不幸があり、試験を受けられなかったのですが、先生に「平常点でお願いします」と申し入れると、先生は「○○さんですね、わかりました」と承認してくれました。
  最近姪の子供Kちゃんと行った熱帯館で、「エサやり」を見学したのですが、その30分ぐらいの間、スタッフが「エサをあげる」と言っていたのが気になりました。「あげる」は漢字で書くと「上げる」で、もとは謙譲語からきているので、動植物に対して敬語を使う必要がないので使わない、と覚えているのですが、熱帯館では魚が主人のようなものですから、「魚様様」の気持ちでエサをやっているのでしたら、「エサをあげる」と言う気持ちもわからないわけではないですが……。
 言葉の間違えではないのですが、最近テレビの健康食品の宣伝でよく耳にする、愛用者が「自然のものですから安心ですね」と言うセリフ。これを聞くたびに「うん?どうして自然のものなら安心なの?自然だから安心できないものもたくさんあるのに、この健康食品は、そんなあいまいな言葉で宣伝して大丈夫なの?」と思う私。
 
 自分でも気にしないようになりたいのですが、持って生まれたものと思い、あきらめるしかなさそうです。

近況あれこれ
セミへの小さな心遣い
 生ゴミを捨てようと思い、ドアを閉めて建物のいちばん奥にあるダストシュートまで、廊下を歩いていく途中、セミがひっくり返っているのが目につきました。ゴミを捨てた帰りに、「おやおや、可愛そうに。セミさんは自分では起きられなかったのよね」と、言いながら、私はそおっと持ち上げ、まだ生きていたので、外に放しました。
 ひっくり返っているセミを見つけると、そばに木があれば、木につかまらせもます。でも、セミがひっくり返るということは、もう飛ぶ力も、木に登る力もなくなり、死期が近づいたとき、とも言われていますので、私の心遣いも、セミにとっては無駄なことと、思われているかもしれません。それでも私は止めることができないのです。

(2019年9月14日)
posted by ジャン吉 at 08:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする