2020年02月15日

心の中の娘と共に:(53)

畑の野菜
 甥の嫁の実家から、自家栽培のネギと大根とブロッコリーとキャベツ、手作りの味噌を頂きました。
 ネギは、全長が90pもあり、その長さにびっくりしました。わが家では、年中、昼食は麺類なので、薬味としてのネギは必需品で、冷蔵庫に無い日はありません。「らでぃっしゅぼーや(有機野菜の会)」から届くネギは70pぐらいですが、それでも冷蔵庫に保存するときには葉の部分を折るか少し切り取ってからにしています。90pの長さになると、葉と白い根の部分を分けて保存しようか、とも思いましたが、しばらくは新聞紙にくるんで、ベランダに置いてみることにしました。「しばらくは、」とは言っても、ネギ好きの 私のことですから、頭の中では「今夜はネギ焼きで、田楽みそで食べてみよう」などと思っているのですから、あっという間に無くなることは必定です。
 大根は、やはり田楽にしようと、蒸したところです。私は、野菜は茹でないで、蒸します。茹でるよりは栄養も逃げないそうですし、野菜全体が均等に柔らかくなりますので、食べやすさもあります。大根は、田楽用に1本を六つに切り、皮をむき、蒸し鍋に並べて火にかけますと、10分で柔らかくなりました。近日中に来客の予定があるので、酒の肴の一品に。青々とした大根の葉は細かく刻んで、ジャコと一緒にゴマ油で炒め、だし汁と醤油で味付けしました。これは今夜の副菜の一品です。
 キャベツは、週2回は昼食に食べる焼きそばの具に。
 ブロッコリーは洗ってから薄い塩水にさあっと通したあと、3分ぐらい蒸して出来上がり。水で冷やさないで、この時期はざるに取って外気で冷まします。色も鮮やかなままです。ひと房味見しましたら、美味しいので、ソース無しで食べられそうです。普段、らでぃっしゅぼーや(有機野菜の会)から購入しているブロッコリー、カリフラワー ニンジンなどは、蒸してサラダとして食べますが、素材の味そのままを生かすために、ソースはレモン汁とオリーブオイルを用いるぐらいです。
 余談ですが、最近見た目薬の会社のパンフレットに、目に良い野菜(ビタミンA含有)として、ブロッコリー、ほうれん草、ニンジンが載っていました。私が毎日のように食べている野菜なので、驚きました。目の弱い私の本能の成せる業とでもいうのでしょうか。
 大根の切れ端は、妹が近所の豆腐屋さんから買ってきてくれる油揚げと一緒に、今夜の味噌汁の具です。昨年11月に故郷大船渡に法事のために出かけた妹が、地元産の煮干しを買ってきてくれました。この煮干しは8cmぐらいの大きさの片口いわしです。だしをとるときには、頭と尾を取り除いてからふたつに割って、中の黒い内臓の部分を取り出します。この内臓が残っていると、だしに苦味が出て私の好みではないのです。
 味噌汁には信州味噌(らでぃっしゅぼーや)を使っているのですが、今回は頂いた手作りの味噌を使ってみました。いつもと同じ量では、少し甘い感じがしましたが、煮干しにも合うし、信州味噌と混ぜても美味しいと思いました。その残りが覚めたまま鍋に残っていたので一口すすってみました。これがとても美味しかったので、思わず飲み干してしまいました。覚めても美味しい味噌汁には、なかなかお目にかかれません。夏には冷や汁としても楽しめそうです。

 私が育った生家では、米も野菜も、味噌も自家製でした。生家を離れてから60年近く時は過ぎ、この30年は、らでぃっしゅぼーや(有機野菜の会)から届く土付きのねぎやニンジンなどに、少しばかり畑気分を味わってはいました。
 故郷の冬の畑には、ほうれん草の他には野菜の姿はなく、秋に収穫した大根を貯蔵しておく土の室が、こんもりと盛り上がっていて、その上に雪が積もると、子供達の小さなすべり台になっていました。ほうれん草も今のほうれん草とは異なって、茎がほとんど無く、縮んだ葉だけが凍った土に張り付くように育っていました……。
 今回自家栽培の野菜を頂いたことで、私の心は、いつしか今は無き生家の田んぼや畑に飛んでいました。
               
(2020年2月15日)
posted by ジャン吉 at 11:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月18日

心の中の娘と共に:(52)

2019年を振り返って
 私の家から電車で片道1時間半かかるところに、87歳の叔母が住んでいます。昨年1月に、部屋の中で身動きできないで、三日もうずくまっていた叔母を発見してから、この一年を妹や姪親子と様子見に通いました。最初は一週一度、その後叔母の息子も顔を見せるようになり、介護も入ってからは、ひと月に一度。その度に叔母の好きな食料を持参しました。毎回掃除をし、12月には、何十年も替えたことがなくて黄ばんだ襖を、量販店から壁紙や両面テープなどを購入して持参し、姪が替える作業を行いました。暗い部屋が明るくなった、と叔母が笑顔を見せました。肺炎や骨折、立ち眩みなどで大変な一年でしたが、一週間前に訪れたときには、家の中をゆっくり歩いていました。この日私の甥が連れて行った、1歳と4歳の子の姿を目にして、本当に嬉しそうでした。

 昨年のことを振り返ってみて、いちばん心が痛むことは、近所に住んでいる姪の子共Kちゃんのことです。
 前回のブログ「Kちゃんは学校へ行けなくなった」は、抑えて、抑えて書いたものです。ブログで詳細や経過を書くには、差しさわりがありすぎました。昨年4月に三年生になったときから、Kちゃんの苦難が始まり、今に至るまで状況は変わりません。勉強は家で姪が教えています。今月初めには、わが家でKちゃん親子と、冬休みの宿題を終わらせました。算数は姪が、国語は私がみました。そして三学期の初日、Kちゃんは学校へ宿題を提出しに行ったかどうか……。(後日、やはり登校できなかったと聞きました)
 Kちゃんは、一週に一度は、わが家に遊びにきます。お母さんに言えないことも私に話してくれることがあります。ある日こんなことを言いました。「お母さんには言ってないけど、Kちゃんは自殺しようと思って、友達と場所を探して歩いたことがあったの」と。その話は私の心を突き刺しました。私は、生きたくとも生きられなかった娘バルの話をして、「大好きなバルちゃんが亡くなって、私はとても悲しくて、生きているのが辛かった。もしKちゃんが自殺したら、Kちゃんのお父さんとお母さんがどんなに悲しむことか。そしてKちゃんを大好きなすずちゃん(私の妹で、Kちゃんの祖母)も私も、とても悲しいよ。Kちゃんは周りのみんなから愛されていて、幸せな子なのよ。バルちゃんは亡くなる一週間前まで、歩けないのに歩こうと頑張ったの。生きていてまだまだやりたいことがたくさんあったの。でも生きられなかった。Kちゃんもやりたいことがあるでしょう?Kちゃんを大好きだったバルちゃんのためにも生きなくちゃね」、と話しました。命の大切さをこれからも機会があれば話していこう、と思いました。春がきて、4年生の新学期が始まったら、Kちゃんが学校へ行けることを、心から願っています。

 4月からはボランティア団体に参加させて頂き、外国人に日本語を教えるようになりました。ボランティアの活動は一週一回です。ここではマンツーマンで、一人の学習者に一人のボランティアが相手をしています。
 初めての経験で、戸惑いもありましたが、あちこちで開催されている日本語教師のセミナーを受講するなどして、学びながら何とか続けられそうです。詳細は今後のブログで取り上げたいと思います。

 10月18日は、娘の三度めの祥月命日でした。娘を思って泣かない日はないのですが、それでも少しずつ、過ぎゆく「」に癒されているように思います。

 昨年読んだ本は、図書館から借りた本が265冊、自分で購入したり友達から借りた本が56冊、計321冊でした。Kちゃんのこともあって、学校問題を扱った本も何冊か読みました。その一冊、『モンスターマザー』は、学校のいじめが原因で息子が自殺したと訴え続けた母親が、実は加害者だった、という内容でした。私には、本当に学校側には責任が無かったのかどうかは読んだ限りでは判断がつきませんでした。
 これまで、私には縁の無かった、小学校というところを垣間見たら、多くの問題が重なり合って崩れ落ちそうに見えたのは、私の弱くなった視力のせいばかりではない気がします。

 2010年3月から始めたブログも、3月で10年を迎えます。こんなに長続きしようとは、始めた頃には思ってもみませんでしたが、書くことが好きな自分を発見したこともあり、今では読書、麻雀、ヨガに続く趣味としての位置を占めるまでになりました。
 これまで書いたブログは210篇。昨年は21篇書き、年間アクセス数16351、訪問者数9321人でした。読んで下さる方の存在が、書き続けることへの、何よりの励ましとなっております。
 ありがとうございました。そして今年もよろしくお願いいたします。

(2020年1月18日)

 
posted by ジャン吉 at 10:15| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月01日

心の中の娘と共に:(51)

 Kちゃんは学校へ行けなくなった

  Kちゃんは学校へ行けなくなった
  学校が大好きだったのに
  勉強が大好きだったのに
  友達と遊ぶことが大好きだったのに
  Kちゃんは学校へ行けなくなった

  Kちゃんはよく周りを見ている
  見て、考えて、判断してから行動する
  他の生徒のことも、先生のことも
  Kちゃんはいつもよく見ている
  Kちゃんはおとなの観察力を持っている
  
  いつの頃からか
  朝になるとKちゃんは熱が上がった
  朝になるとKちゃんは足がしびれた
  朝になるとKちゃんはお腹が痛くなった
  そして学校を休む日が多くなった
  
  席を替えたというので
  Kちゃんは久しぶりに教室に入った
  Kちゃんは勉強したかったのに
  教室は騒がしかった
  騒がしくて勉強ができなかった
  
  学校へは行けなくても、友達と遊びたくて
  Kちゃんは校門の外で、下校する友達を待った
  友達と一緒に遊ぶKちゃんは9歳の子どもだった
  笑顔がいっぱいはじけていた
  学校へ行けない子には見えなかった
  
  Kちゃんは学校へ行けなくなった
  学校が大好きだったのに
  勉強が大好きだったのに
  友達と遊ぶことが大好きだったのに
  Kちゃんは学校へ行けなくなった

  だが、春がきて新学期が始まれば、
  Kちゃんは学校へ行けるだろう
  教室でみんなと勉強できるだろう
  放課後は友達と遊べるだろう
  きっと、きっと
                        (2020年1月1日) 
posted by ジャン吉 at 09:56| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする