2019年12月17日

心の中の娘と共に:(50)

茶会
 私がボランティアとして参加している、外国人との交流団体「地球家族」の主催で、茶会が開かれました。講師は国際交流機関から紹介していただいた表千家の方です。そして、お客様は「地球家族」で日本語を学んでいる外国人学習者で、当日参加可能な10人ほどです。 
 私は、世話役として早めに家を出ました。家を出がけに、ふと思い立って、娘の遺品の抹茶茶わんを持参しました。三年前に亡くなった娘バルにも、茶会の雰囲気を味わってもらおうと思ったのです。
 会場は、わが家から歩いて10分ほどのところにある、区の集会所の和室でした。62畳の広い和室で、普段手入れをしないのか、障子の至るところが破れていたのには、驚きました。何とか2枚だけ破れていない障子を入れ替えて確保しました。その障子の前の一角に、講師の方が持参してきた風炉先屏風(ふろさきびょうぶ)を置きましたら、それだけでも、なんとなく茶室の雰囲気が感じられました。そこに風炉を置き、茶釜をのせ、水差しや柄杓などの道具を置きましたら、だだっ広い和室の一角が、茶室に生まれ変わりました。

 茶釜を目にしたときには、岩手県大船渡の生家のいろりで、いつも湯を絶やさなかった茶釜を思い浮かべていました。そういえば、確か「鉄瓶」ではなくて単に「かま」と言っていたような気がします。来客の多い家でしたから、いろりに火がある限り、釜から湯煙りが上がっていました。沸いてくると音がするので、家人の誰かがふたを少しずらして、お湯が吹きこぼれないように気をつけてもいました。懐かしい……。そんな思いでの詰まったわが家も2011年の災害で失われてしまいました。東京のわが家では、いつの日かの帰省時に、新幹線の水沢駅の売店で買い求めた、南部鉄の小さな急須でお茶を入れています。

 外国人へのお点前が終わった後に、世話役のボランティアの人たちにも点てて下さるということになり、思いがけず一服頂くことになりました。若い頃に、一通りの作法は教えて頂いたことがあったのですが、すっかり忘れてしまい、他の方の作法を見ながら、娘の抹茶茶わんで頂ました。
 そのときに、講師の方が、娘の茶わんの色絵を「京都の高台寺の紋です」と教えて下さいました。
 私の娘はブラジルからの留学生でした。ホームステイ先は姫路の篤志家の方でしたが、奥様が京都の人ということもあって、来日直後は京都には何度か連れて行ってもらったようです。
 その後、娘は関西から東京に移り、縁あって私の娘となり27年暮らして三年前に病で亡くなりました。娘がわが家に引っ越してきたときに持参した僅かな荷物の中に、この抹茶茶わんがありました。娘はこの茶わんのことには一度も触れたことがなかったので、ホームステイ先でお茶のお稽古に通ったそうですから、そのときに使ったものだと思っていました……。
 今回の茶会で思いもかけず、京都の高台寺の紋と分かり、思い出したことがありました。関西での細かい話はほとんど口にしない娘でしたが、珍しく「お寺の中は冷たくて、あまり好きではなかった。お茶(抹茶)も美味しいと思わなかった」と、言ったことがありました。娘はきっと高台寺に連れて行ってもらっていたのですね。そこで茶会が開かれているそうですから、その茶会に参加したのかもしれません。そして連れて行って下さった方がこの茶わんを求めて娘にプレゼントして下さったのでしょう。
 娘の抹茶茶わん「高台寺 在銘鳴滝 菊紋 桐紋 五七桐 京焼」は、わが家で三十年過ごしてから、やっとその来歴がわかりました。今回の茶会は、外国人学習者のための催しでしたが、娘の茶わんのことが分かったことで、私にとっても有意義な茶会となりました。
              
(2019年12月17日)

 
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2019年11月30日

心の中の娘と共に:(49)

公園で思うこと
 9月頃から、近くの公園のあちこちに、ドングリがたくさん落ちているのを目にするようになりました。毎年のことなのですが、その度に思うことは、こんなにたくさんのエサがあるのに、それを食べる動物がいないということです。
 40年ほど前に、ドイツに遊びに行ったことがあります。ドイツ南西部の、シュトゥットガルト近郊にある、エスリンゲンという街です。この町に住んでいる友人宅に10日ほど滞在して、毎日街を散歩しました。石畳の道、古い町並み、古城、ブドウ畑などが、記憶に残っています。ある日、街路樹の下を散歩していましたら、リスの姿を見かけました。友人に聞いてみると、リスはけっこう住んでいて、そのために、エサになるよう、街路樹も配慮している、とのことでした。そこの街路樹を見ますと、栗のイガに似た果実がたくさん生っているのです。食用の栗の木ではないそうですが、リスのエサにはなるのだそうです。街行く人達もリスを見かけても、全く気にもしていない様子でした。リスが街に溶け込んでいるというか、あるいは住民(?)そのものとでも言ったほうがいいかもしれないと、思わせられるような情景でした。

 動物の話をもう一つ。ドイツでは、犬を連れたまま、レストランに入ることも、ごく普通の光景として見受けられました。
 ある日、友人とレストランで昼食を食べているときに、大きな犬を連れた初老の男性が入ってきました。店の者の案内で席に着くと、犬は主人の足元のテーブルの下にうずくまって、その男性が食事を済ませて席を立つまで、動かないで待っていました。日本で見かける盲導犬と同じように訓練が行き届いている感じでしたが、このドイツで見かけた犬は盲導犬ではなく、ごく普通に家で飼っている犬だそうです。犬についてもしつけがきちんとされていることを、とても羨ましく思いました。
 私は毎朝家の近くの公園を散歩しているのですが、そこには犬の散歩に来ている人もたくさん見受けられます。犬の散歩とは、公園で糞尿をさせること、のような光景を毎日見なければならないのも、心痛むものです。いつぞやテレビで、犬のしつけの番組を見ました。散歩に連れていく前に糞尿を済ませる訓練でした。3日ぐらいで犬は覚えるそうです。「条件反射」は、確か「犬」から分かったことでしたね。ゴキブリでさえ条件反射が起こるそうですから、大事な飼い犬に、外での垂れ流しをさせないよう訓練するのは、飼い主のちょっとした心遣いで解決できることではないのかなあ、と思いつつ、今朝も散歩に行ってきました。
 
 公園の一角に、公園を利用する人がちょっと停めて置くことのできる、4,5台ほどの小さな自転車置き場があります。そのあたりに何十台もの自転車が停めてあるのをしばしば目にします。それはすぐ近くにある私立の幼稚園に園児を送り迎えする保護者の自転車だと分かりました。その停め方には、私はいつも気になります。自転車置き場が小さいので、公園の木々の間に何十台も停めるのです。それが何年も続いているので、そのあたりは土が踏み固められて草も生えなくなり、そのせいか、木々の根も顔を出すようになりました。また、雨の日には水はけも悪いのか、たまり水になっているので、そのうちに、木々が枯れてくるのではないか、と心配にもなります。幼稚園に父兄の自転車置き場を確保するよう、申し入れようか、とも思ったのですが、公園側が気づいて注意すれば済むことだとも思い、そのままにしました。幼稚園の方もまた、送り迎えの保護者の実態に気づかないままに何年も過ごしているのですね。
 また、バイク置き場は、通勤者の駐車場化しており、朝の8時前には、今朝の散歩時には19台停めてありました。そのうちの10台は置き場からはみ出して公園の木々の間に停めてありました。法的には500cc以上のバイクは自動車扱いなそうですから、バイク置き場は廃止して、すぐ脇の駐車場の一角を、通勤者のためのバイク置き場にしたらどうかな、と思いました。車料金よりは安く、一日100円ぐらいの有料にすれば、少しは公園管理費も助かるのではないでしょうか。もちろんいちばん助かるのは、公園の樹木だと思います。身近に自然を感じられる公園だと思いますので、木々を痛めつけないよう、心して利用したいものです。

 あちこちに多くの被害をもたらした台風15号の去った翌日の朝、公園へ行きましたら、道のあちこちに、足の踏み場もないほどの銀杏が落ちているほか、いつもと変らない風景でした。大きなヒマラヤスギやイチョウの木が倒れていた昨年の台風で、公園の木々は淘汰され、今年は無事に済んだのかなあ、と思いました。自然界の厳しい生存競争をまのあたりにしたことで、人間界(?)にも淘汰があるとしたら、どのような展開を見せるのだろうか、とふと思いました。が、なんだか途方もない「思い」のような気がして思うことを止めました。
                      
(2019年11月30日)
 
posted by ジャン吉 at 09:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月02日

心の中の娘と共に:(48)

秋刀魚の歌
 私のふるさとは岩手県の大船渡です。母が生きているときには、毎年秋になるとサンマが届きました。実家の向いの魚屋に頼んでおいて、魚市場に上がったばかりのサンマの氷詰めを、送ってもらっていました。20匹ぐらいは入っていたので、近所にも配っていました。ピカピカに光ったサンマはその名の通り、刀を想像できるものでした。東京ではめったに目にすることのできないサンマの姿です。
 2011年に母が亡くなってからは、美味しいサンマを食べることができなくなりました。ところが、震災後、数年経ってから、東京で大船渡のサンマを食べる機会ができたのです。それは、防災のイベントとして、被災地大船渡のサンマを、炭火で焼いて無料で食べてもらうというものです。会場は二か所で、両国の公園では700匹、東京タワーでは3000匹を焼いて食べてもらうのだそうです。毎年、妹がボランティアで参加しており、私にも持ってきてくれます。幼い頃から馴染んだサンマの味です。今年も妹から3匹もらったので、2匹は自分で食べ、1匹は近所の知人に食べてもらいました。美味しかった、と笑顔のお礼が届きました。

 サンマといえば、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を思い浮かべる人が多いと思います。
  さんま、さんま 
  さんま苦いか塩っぱいか。

この部分は大抵の人が知っています。私は、中高校の教科書に載っていた詩は、ほとんど覚えているのですが、なぜかこの詩は載っていなくて、私も全文を知らなかったのです。こんなに有名なのに、どうして教科書に載っていなかったのだろうと思っていましたが、今回全文を読んで納得しました。人の妻に恋した切ない思いを詠っているのです。中学校や高校の教科書に載せることは難しいだろう、と思いました。
 全文を読んでみて、とにかく覚えようと思い、毎日散歩のときに少しずつ暗記しているのですが、これが、なかなか覚えられない。「さんま苦いか塩っぱいか」の部分は最後尾ですが、とにかくその部分だけは最初に覚えました。そして、半月かけて、やっと、なんとか全文を覚えられましたが、なんという切ない気持ちの伝わってくる詩なのでしょう。毎日毎日暗唱するごとに、切ない思いが強く訴えかけてくるのです。

 2016年6月26日に娘バルが入院しました。翌日の27日から私は友人と関西方面に旅行に出かける予定でした。一時は中止も考えましたが、「入院できたから、お母さんは楽しんできて」と娘が言うので、その言葉に甘んじて出かけることにしました。そのときの旅行先の一つが和歌山県の新宮市で、「佐藤春夫記念館」でした。記念館で、録音されていた佐藤春夫の、生前の声を聞くことができました。「秋刀魚の歌」はこの新宮で作られたのですね。夜、新宮の町の寿司屋で夕食をとりながら、入院中の娘にメールをし、返事をもらったことが、鮮明に思い出されます。

  あはれ
  秋風よ
  情〔こころ〕あらば伝へてよ
  ――男ありて
  今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
  さんまを食〔くら〕ひて
  思ひにふける と。

  さんま、さんま
  そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
  さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
  そのならひをあやしみてなつかしみて女は
  いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
  あはれ、人に捨てられんとする人妻と
  妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
  愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
  小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
  父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。

  あはれ
  秋風よ
  汝〔なれ〕こそは見つらめ
  世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。
  いかに
  秋風よ
  いとせめて
  証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。

  あはれ
  秋風よ
  情あらば伝へてよ、
  夫を失はざりし妻と
  父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
  ――男ありて
  今日の夕餉に ひとり
  さんまを食ひて
  涙をながす と。

  さんま、さんま
  さんま苦いか塩つぱいか。
  そが上に熱き涙をしたたらせて
  さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
  あはれ
  げにそは問はまほしくをかし。
                      
(2019年11月2日)
posted by ジャン吉 at 09:52| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする