2019年04月27日

心の中の娘と共に:(36)

 学校へ行く道
 ブログ(27)で、私が中学生になって最初に習った、ジョン・ラスキンの「学校へ行く道」という詩の、一部しか覚えていない、ネットで調べても出てこない……ということを書きましたら、ネットで見つけました、という友達からの報告がありました。さっそく再検索してみましたら見つけました。
 「学校へ行く道」(昭和24〜25「中学新国語」上 三省堂)
  冬になって氷が張ると、
  冬になって雪がふると、
  学校へ行く道は長く、さびしい。
  その道を生徒が行く。
 
  だが愉快な春が来て、
  花が開き、鳥が歌えば、
  学校へ行く道のなんて短いことか。
  そして楽しい時間の短いこと。
  しかし、勉強が好きで、
  知恵を得ようとはげむ子には、
  学校へ行く道はいつでも短い。
  照る日も、雪の日も、また雨の日も。

  どういう人であろうと心はけだかく、
  どんなことをするにも心をこめて、
  何を話すにも心やさしく、
  いつでも人々の喜びとなれ。
  どこに君が住もうとも。
  (「日本少国民文庫」より)

 これを読んで、あらら、私のイメージと違うぞ、と思いました。訳詩といえども、詩の持っている形式やリズムがあまり感じられないし、詩というよりは、道徳の教科書を読んでいるような気がしました。私の習ったものとは違う訳だと思いました。
 私が中学生になったのは昭和30年4月です。上記の詩は昭和24〜25年の教科書に載っていたということですから、5、6年の時間差による訳の違いがあるとすれば、戦後の世相の流れを反映しているのかも知れない、と思いました。
 それにしても、私の「学校へ行く道」は、どこで私を待っているのでしょうか。あるいは、私の思い込みで、実際には上記の詩しか存在しなかったということなのでしょうか。

近況あれこれ
図書館は気持ちよい寝場所
 昨日一昨日の肌寒さが嘘のように、暖かな一日。図書館まで出かけましたが、通りの桜は八重桜に変わり、ハナミズキのつぼみが膨らみ始めていました。木々も薄っすらと緑がかって見えるようになっています。
 図書館で、いつものように書架の前をあちこち動き回り、本を探していましたら、すぐそばで「お加減はいかがですか?」という声がしました。振り返ってみると、図書館員が、眠っている年配の男性に声をかけたことが分かりました。それからもう一人眠っている男性に、同じように声をかけてから去っていきました。以前ブログで、ここ数年来いつ来館しても、椅子はほとんど年配の男性利用者に占領されていて、ちょっと座って拾い読みしようにもできない、というようなことを書きましたが、座っているだけではなく、眠っている人も二三人はみかけます。これまで、図書館側は何もしないでそのままにしている、と思っていましたが、眠っている人に声掛けをしているのを、今日初めて目にしました。では声をかけられた二人はどうしたかといいますと、一人は私物を椅子に置いたまま席を立ちました。もう一人はいったん目を開けましたが、図書館員が去るとそのまま、また眠りに入りました。
 確かに適度な室温で、周囲は静かだし、眠くなっても不思議ではありません。でも、ここは図書館です。図書館は何をするところか、分からない利用者はいないと思います。が、それでも、居眠りの人が後を絶たないのは、どこに原因があるのでしょうか。私なら、眠かったら家で大の字になって眠ります。図書館で眠る人は、家では昼寝もままにならない事情があるのでしょうか……。
(2019年4月27日)
posted by ジャン吉 at 10:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月13日

心の中の娘と共に:(35)

花見の季節
 今年も花見の季節がやってきました。わが家の近所は桜の木が多いので、花見はしていましたが、娘が亡くなってからは、ほとんど花見らしい花見はしていませんでした。
 今年の花見は家の中から始まりました。
 沖縄の友人が、所用で上京し、わが家を訪れたときのことです。玄関のドアを開けると、抱えた桜の花の後ろから「途中で見つけたので」と友人の声。
 鉢植えの花を抱えての電車の中では、帰宅時間で比較的混んでいるにも関わらず、周りの乗客が、花を散らさないように気を遣ってくれたり、話しかけたりで、和やかな雰囲気だったそうです。
 さっそく、テーブルに置き、花見の宴が始まり、夜中まで続きました……。
 その三日後、かつての同僚のYさんと花見の約束をしていました。当日は、あいにくの天候で、歩きながら少し桜を見てから、わが家での花見です。お酒を飲まないことを知っていましたので、食事とコーヒーでの花見でしたが、久々の出会いに、積もる話で盛り上がりました。
 その翌日、東京周辺に住んでいる、小学校からの同級生が数人、やってきました。半年ほど前から花見をしたいと言っていたので、ここのところ毎日、私はベランダから花の様子を眺めていました。そして一週間前に連絡し、八分咲きぐらいの桜を見ることができました。各々持ち寄りの弁当を食べ、ほぼ一日を花の下で過ごしました。
 同級生を駅まで送った帰り道、名前を呼ばれて振り返ると、近所の友達の鈴木さんでした。今年初めての出会いでした。二人とも、帰り道でもあるので、少し寄り道し、一緒に夜桜を楽しみました。それから久しぶりの出会いを惜しみ、近所の店で夕食をしてから別れました。
 今年の花見はこれで終わりかな、と思っているところに「明日花見に付き合ってくれませんか。弁当は私が作って持っていきますので」、というメールが姪から届きました。翌日、姪とその子供Kちゃんと一緒に前日と同じ場所で花見をし、姪が用意した、Kちゃんの好きなもの尽くしの弁当を食べました。それからわが家で、姪と私はコーヒー、Kちゃんはみどり茶(緑茶)でひと時を過ごしました。
 その後、カンツオーネの会の娘の友達から連絡があり、まだ残っている桜を見ながら一杯ということでしたので、宴の準備をして待ちました。結局、外の桜は寂しい感じがしたので、わが家で、沖縄の友達が抱えてきた鉢植えの花をテーブルに置き、残りの桜を見ながらの花見酒になりました。
 今年の花見は、家の中での花見に始まり、〆もやはり家の中で終わりました。娘バルもきっとそばで一緒に楽しんだことでしょう。

近況あれこれ
新学期
 新学期が始まり、姪の子供Kちゃんは小学三年生になりました。新学期二日目の今日、新しい教科書を配布されたKちゃんは、学校帰りにわが家に寄り、その教科書を見せてくれました。
 三年生から新しく始まる教科は、英語と理科と社会と習字ということです。
 私達の時代には、中学に入って初めて英語の授業が始まりましたので、小学校で英語の授業が始まることには驚きもし、また、羨ましくも思いました。
 Kちゃんの英語の教科書『Let‘s Try』を開いてみました。するとカラフルな絵とともに、「Hello!」「How are you?」「 How many?」など挨拶から始まって幾つかの例文が載っていました。六十四年前、私が初めて習った教科書は『グローブ リーダース』で、最初のページに載っていたのは「a dog」「 a big dog」だけだったと記憶しています。カラーページはありませんでした。Kちゃんの教科書のようだったら楽しく学べたかなあ……、としばし思いに浸りました。
                       
(2019年4月13日)
 
posted by ジャン吉 at 09:52| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月30日

心の中の娘と共に:(34)

カフェラテ
 セブンイレブンのカフェラテがニュースになっているのを見て、私も飲んでみたいと思っていました。が、これまでコンビニはほとんど利用したことがなかったので、機会がありませんでした。

 私の家から電車で2時間ばかり離れたところで一人住まいをしている、86歳の叔母(父の妹)がおります。私と妹は、いつも叔母のことは気にかけていましたが、都内に裕福な息子夫婦も住んでいるので、今頃は有料の施設に入居しているかも、などと話していました。その叔母から1月初めに電話がありました。いまだに一人暮らしで、「寒いのにこたつも壊れて、冷蔵庫も壊れて……」など話し、最後に「良かった、いくちゃんと話ができて。今日はとてもいい日だった」で終わったのです。私は「うん?私と話したことであんなに喜ぶなんて。おかしい」と胸騒ぎがしました。すぐ妹に連絡し、一週間後の休日には、妹の車で姪とKちゃんも一緒に、掃除道具と米だけを持って、叔母の家に向かいました。
 外で転んで足が痛いので、つかまりながらの日常生活とのことでした。さっそく大掃除をし、部屋に置いたままの壊れた電気製品など、使わなくなった物を片付けました。それから量販店に行ってこたつと照明器具も買いました。息子夫婦は4年も来ていない、とのことでした。

 その後訪れたとき、叔母が動くこともままにならなくなっているのを目にしてから、一週間に一度、食料を届けがてら、叔母の様子を見に行っていました。医者に行ったときに動けなくなり、息子のところに連絡がいったとのことで、息子も顔を出しているとのことです。

 近くにセブンイレブンしか店がないので、叔母の家に行くたびに、買い物に利用していました。ある日、買い物ついでにカフェラテを頼んでみました。紙カップを渡され、自分で淹れるのだそうです。「初めてなので、教えて下さい」と従業員にお願いしたら、コーヒーマシンのところまで出てきて教えてくれました。
 次の週にまた買い物ついでにカフェラテを頼みました。「先日教えてもらったのですが、うろ覚えなので、分からなかったらお願いします」と従業員に言って紙コップをもらい、コーヒーマシンのところにいくと、先客が淹れている最中でした。私がよく見ようと、脇から身を乗り出すと、先客が「カフェラテ?」と聞くので、そうです、と答えました。するとその人は、自分の淹れたばかりのカップにふたをして私に「これをどうぞ」と言い、ふたの開け方まで説明してくれたのです。私は思いがけないことに驚きましたが、その人は「自分のは、すぐ淹れるから」と言い、私のカップをマシンに置き、淹れ始めました。50代ぐらいの男の人で、作業服姿でしたので、お昼の弁当でも買いに来ていたのではないかと思いました。
 私は丁寧にお礼を言ってコンビニから出ました。手に持ったコーヒーの温もりよりも、私の心はとても温かいもので満たされていました。そして、私も見習わなければ、と思いながら、叔母の家に急ぎました。

 後日、この話を娘の友達でクリスチャンの方に話しましたら、「聖書の中に、自分の益をはかって自分の事だけに目を留めず 人の益をはかって他の人のことにも目を留めなさい、という言葉があります。他の人に見習うまでもなく、秋さん(娘バル)のお母さんの人生そのものだと思います」という言葉が返ってきました……。

近況あれこれ
人形遊び
 買い物に行く途中、近くの小さな公園でブランコに乗っていた姪の子供Kちゃんが、私を見つけて「いくちゃーん」と呼びました。そばまで行きベンチに座って、ブランコで遊ぶKちゃんと友達を眺めていました。しばらくするとブランコを降りたKちゃんと友達が、ベンチに置いたそれぞれのリュックから、人形を取り出し、ベンチに並べて遊びはじめました。それを見ていて、集合住宅に住む子供達は、自分の家に友達を呼んで遊ぶということは余りしないのだな、と思いました。近所に遊びに出るのに、リュックで遊び道具を運んできて、友達に会うと、その場が遊び場所になるようです。リュックの中には縄跳び道具、水の入ったボトル、その他にもいろいろ入っているようでした。人形遊びなどは家の中でするもの、と思い込んでいた私には、新鮮な驚きでした。

                   
(2019年3月30日)

posted by ジャン吉 at 21:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする