2019年08月24日

心の中の娘と共に:(44)

初めて見た、マンゴウの種の中の種
 今年も沖縄の友人からアップルマンゴウを頂きました。届いた翌日、若い女性の来客がありました。用事を終えて、お茶の準備をしながら、「あなたはマンゴウ好きですか?」と聞きますと、「大好きです。でも高くてなかなか手が出ません」という答えが返ってきました。確かに高価な果物だと思います。私も、娘がマンゴウを好きだったので、遺影の前に供えたい、と思うのですが、三越の食品売り場では、一個5000円〜8000円はしていますので、年に数回しか買いません。「あなたはラッキーです。昨日沖縄の友人からマンゴウが届いたばかりです」と言って冷蔵庫からマンゴウを取り出しましたら、彼女の笑顔が大きくなりました。
 さっそくまな板に載せ、真ん中の種を挟んで包丁で縦に3枚に切りました。外側の二枚は、皮をむき一口大に切ります。真ん中の種の部分は皮をむき、種を避けながら削ぐように切ります。
 残った平べったい大きな種をしゃぶるのが、娘バルのマンゴウを食べるもう一つの楽しみでした。丁寧にしゃぶると、種の周りに白い繊維だけが残ります。それを「お髭さん」と言ってあごのところに当て、いつも私に見せてくれました。日本では見られないこの遊びを見るたびに、娘はブラジル育ちなのだ、と私は思ったものです。
 皿にのせたマンゴウを口にした、今日のお客様は「わぁー美味しい、こんなに甘味も香りも強いマンゴウは初めて!」と、とても嬉しそうでした。
 来客が帰ってから、私は、亡くなった娘を想い出しながら、娘がいつもしていたように種をしゃぶりました。でも、繊維の部分が白くなるまでには至らないところであきらめました。その種を眺めているうちに、この種から芽が出るだろうかと思いました。
 私は、貯食動物の血が流れているのか(??)、あるいはいたずら心とでもいうのでしょうか、大きな種を見ると、土に埋めたくなるのです。でも、これまで、育ったのはビワぐらいのものです。鉢で50pぐらいまで育ったところで、妹の家の庭に移し、地植えしました。今はかなり大きくなって、実も生っているそうです。今、わが家のベランダには、いつ鉢の土に埋めたのか覚えていませんが、アボガドが30pぐらいまで育っています。それに、名前も種も不明の植物が一本。
 マンゴウの栽培方法をネットで調べてみましたら、輸入品は防カビのために放射線照射をしていることがあるので、芽がでないことも多い、とありました。私の手元にあるのは宮古島産なので、もしかしたら発芽するかもしれない、と思い、試みることにしました。お髭の種は殻で、その殻の中に芽の出る種があることも、今回初めて知りました。さっそく殻から種を取り出してみますと、形が牡蠣の小さな殻に似ていて、おもしろいと思いました。すぐ小さな皿に水を入れて、種を浸けておきました。一週間ぐらいで芽が出るそうですが、楽しみです。娘がいたなら、一緒に楽しめたのに、と思うと、またまた私は泣いてしまいました。

                   
 (2019年8月24日)

posted by ジャン吉 at 11:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月11日

心の中の娘と共に:(43)

4年ぶりの花火
 8月3日、今年もちかくの荒川で「花火大会」が行われました。
 娘と暮らすようになってから亡くなる前年まで、ずうっと二人で、ときには友人を交え、花火を楽しんできました。住んでいる部屋が13階で、ベランダに出ると、目の前に花火が見えました。音も大きくて、建物全体が揺れるような気がました。花火の日の夕食は決まって焼きそばとビールでした。早めに用意して、食べながら「ドカーン」とくるのを待っていました。その後、今住んでいる8階の部屋に移りましたが、こちらに住んでからも、娘の部屋の窓から花火は見えました。
 2016年の、荒川の「花火大会」は、娘が入院していましたし、私も病室に泊まりこんでいましたので、見ることができませんでした。それでも、病院から両国の花火が見えるかもしれないと思いたち、花火の当日の昼家に戻り、焼きそばを作って病院に戻りました。結局両国の花火は方角違いで、見ることはできませんでしたが、娘は少し焼きそばを食べて、花火の日の雰囲気を味わってくれました。
 ある日、隅田川の見える病室から、遠くのほうで打ち上げられている花火が見えました。音は聞こえませんでした。それを眺めながら、誰の歌だったか覚えていませんが「音なく開く 遠き花火は」という言葉を思い出していました。
8月3日というと、思い出すのが歌人中城ふみ子です。64年前のこの日、中城ふみ子は札幌の病院で亡くなりました。31歳8か月の人生でした。
 渡辺淳一著「冬の花火」という中城ふみ子を描いた小説があります。40年ほど前に購入したものですが、あらためて読んでみて、やはり、この主人公に心惹かれるものがありました。
 娘バルを同じ「乳がん」で亡くした私には、中城ふみ子の入院から死に至るまでの心と体の痛みの日々が、娘との日々に重なって、以前読んだときよりも、はるかに中城ふみ子に近づいた感じがしました。彼女の歌も、より理解できたような気がしました。
花火にちなんで中城ふみ子の歌一首
  音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
 歌の意味にはここでは触れませんが、中城ふみ子の短くも激しい生き様を感じ取れる一首だと思います。ちなみに、最近の人の解釈に、「花火にすっかり心を奪われた様子を歌っています」とありましたが、それを目にした私は、作者が言いたいことを、読者がきちんと読み取ることの難しさを垣間見た気がしました。

 娘が亡くなってからの、2017年、2018年は、例年どおり花火の音がしても、私は無視するようにして、泣きながら花火が終わるまでを耐えていました。何年にもわたって、娘と楽しんだ花火が、一人になってからはこんなにもむなしいものに変わるとは、思いもかけないことでした。
 今年は、花火が始まってからしばらくは、パソコンで遊んでいましたが、ふと娘も見たがっているかもしれない、と思い立って、娘の部屋に入って窓を開け、娘の遺影と一緒に4年ぶりの花火を見物しました……。
                      
                       
(2019年8月11日)
                     

posted by ジャン吉 at 09:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月20日

心の中の娘と共に:(42)

蚊帳
 高田浩吉の「伝七捕物帖」(1959)という映画をテレビで見ていましたら、蚊帳を吊っている場面が出てきました。「懐かしい!」と思わず大きな声をだしてしまいました。
 時代劇はよく見ているのですが、これまで、ほとんど蚊帳を吊っている場面に、出会ったことがなかったのです。あるとき不思議に思い、ネットで調べてみましたら、江戸時代には庶民の間にまで普及していたとのことでした。が、庶民のほとんどは長屋住まいらしかったので、長屋には蚊があまり出なかったのかな、と思ったりもしていました。あるいは、一般の人には値段が高くて手が出せなかったのかも、とも思っていました。
 「伝七捕物帖」の映画では、伝七のおかみさんが使っていました。岡っ引は決まった報酬が無く、おかみさんに商売などやらせて収入を得ていた者が多かったそうですが、伝七のおかみさんに商売などの様子はなく、それでも蚊帳を使っているということは、やはり庶民でも手の届くものだったのですね。長屋住まいに蚊帳が出てこなかったのは、部屋が狭いことと、煮炊きの窯の煙で燻されて、蚊がいなかったことも考えられます。
 
 私の育った実家では、蚊帳は必需品でした。庭が広くて、木々が多く、家の片側には2メートルぐらいの幅の川も流れていましたので、蚊の出やすい環境だったからだと思います。
 蚊帳は、全体が緑っぽい色に紅い縁取り。各部屋の四隅のなげしにS字型の金具のフックがかけてあり、そこに吊るしていました。
 夏が近づき、蚊の出る頃になると、毎日夜は蚊帳の中で寝ることになります。これが私達子供にとっては、別世界に迷い混んだような嬉しさで、はしゃぎまわります。そして、何度も蚊帳から出たり入ったりするので、蚊を入れてしまい、しょっちゅう叱られていました。
 叔母(父の末の妹)の子供の頃には、暗くなる頃、蛍を捕らえに出かけ、捕らえてきた蛍を蚊帳の中で放ち、楽しんだそうです。蛍を捕らえに出かけるときには、いつも祖父(叔母の父)が「暗闇で光っているからと言って、ヘビをつかむんじゃないよ」、と言ったそうです。ヘビの目も闇に光っているので、間違えて噛まれでもしたら、との親心からだと思います。
 蚊帳の使用はいつ頃まで続いたかは覚えていませんが、中学生になった頃にはもう使っていなかった気がします。 
 その頃の実家は台所が広く、いろりが切ってありました。そのいろりで、蚊よけのために、ヨモギや杉の葉を焼(く)べて、くすぶる煙で蚊を追い払っていたことも覚えています。台所は煙で蚊を追い払い、寝る部屋は蚊帳で蚊を防いでいたのですね。
 テレビの画面から、祖父母、父母、兄弟と、家族がそろっていた頃の、懐かしい思い出に繋がりました。
近況あれこれ
 4月から、ボランティア団体に参加させて頂き、外国人に日本語を教えています。週一回ですが、日本語初心者へのマンツーマン指導ですので、それなりの準備も必要です。幸い、教える相手は中国の方ですので、若い頃習った中国語が役に立つかな、と思って担当させていただいたのですが、初心者では、日本語での説明は相手に解ってもらえないので、説明のほとんどを日本語と中国語併用でしなければならないことに気がつき、ちょっと焦りました。
 それでも、相手は若くて学ぼうとする気持ちが強い人ですので、覚えも早く、最近は少しずつ話ができるようになりました。とは言っても、新しい言葉や会話を教えるときには、どうしても中国語併用になりますので、そのための準備で週一日は時間を費やしてしまいます。
 また、日本語教師の経験がないので、7月には区役所主催のセミナー、8月には「日本語ボランティア研修講座」受講の予定もあり……。
 というようなわけで、時間の余裕がなく、8月のブログ更新はお休みさせて頂くかもしれません。いつも読んでくださっている皆様、ありがとうございます。

                 
(2019年7月20日/次回更新は未定)

posted by ジャン吉 at 13:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする