2019年06月22日

心の中の娘と共に:(40)

本の書き込み
 昨年読んだ本は308冊。そのうち自分で購入したのが43冊で、残りの255冊は近所の図書館から借りたものです。
 図書館から借りた本は、ほとんどシリーズものですが、汚れが多いことには驚きます。しみ、水濡れ、書き込み、一部切り取りまでありました。
 書き込みで目につくのは、標題紙のところです。本を開いて最初に目につく題名の書いてあるところですが、そこに〇や×印、レ点などが、赤や青のボールペンでしっかり書き込んであるのです。最初この書き込みを目にしたときには、信じられない思いがしました。自分の好きな本を借りて読むのですから、大切な借り物に、消せない書き込みをするなんて、私には考えられないことです。
 いろいろ推測した結果、図書館の利用者は、比較的年配の人が多いことに関係があるのではないか、と言う考えにたどりつきました。私も年配利用者の一人です。その私は、図書館を利用するたびに記録する、小さなノートを持っています。そこには、借りた冊数、作家ごとの何を読んだか、が記録されています。何よりも年を重ねるごとに忘れやすくなって、いちいち読んだかどうか、覚えていないことも多いので、読んだものをまた借りたりすることを避けるためにも、記録は、何年も続けている習慣です。
 書き込みは、年配者が、自分が読んだか読まないかを識別するために、シリーズものなどに付けているのだと思いました。それにしても、図書館の本に書き込むなど言語道断。
 その後、図書館で「本が泣いています」という小さな展示を目にしました。そこに並べられていた本は、破れ、水よれ、切り取り等々。私の目にも本が泣いているように見えました。
 雑誌コーナーに行きますと、書架に「切り取り多数のため 購入中止」という表示が出ているところが二か所。月400円ぐらいの月刊誌を、自分で購入しないで、図書館で切り取って済ませるということは、経済的な理由ではなさそうです。個人の育った環境からの、マナーに対する何かが欠けているとでもいうのでしょうか。
 本を泣かせないためには、どうしたらいいのでしょうか。利用者のマナーの向上しかないとしたら、個人の育った環境、教養や品格に委ねられなければ解決しないとしたら、これはもう、なかなか「本の笑顔」にお目にかかるのは難しいかもしれません。せめて、子供のときから本の大切さを教えていくという、地道な努力が、考えられる最良の道かもしれませんね。

近況あれこれ
Kちゃんからバルへの手紙
 18日は娘バルの32回目の月命日でした。近所に住んでいる姪とその子供Kちゃんが、それぞれ花をもってきてくれました。Kちゃんも今では小学校三年生。「バルちゃんの月命日でしょう」と、覚えてくれていました。そして娘の遺影の前に「バルちゃん元気?天国でもがんばって。こっちは元気だから。Kより」という手紙を置いていきました。これを読んで、私は感動しました。実は進級してから、ずうっとKちゃんは元気ではなかったのです。心痛めることが続いていたのです。それなのに、自分のことは心の中に隠したまま、娘バルには「元気だから」と言っているのです。このことについては、いずれブログで取り上げたいと思っていますが、今はまだ経過を見ているところです。
 Kちゃん、ありがとう。バルも天国からKちゃんのことをいつも見ていますよ。
(2019年6月22日/次回更新7月6日)
posted by ジャン吉 at 12:27| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月08日

心の中の娘と共に:(39)

共通環境 
 ここのところ、東京近郊に住む叔母のところに通っていますが、狭い入り口のあたりに植木鉢がたくさん置いてあるのを目にして、叔母は園芸好きなのだなあ、と思いました。そこからふと思い出したことがありました。
 40年ほど前、この叔母には兄にあたる叔父が亡くなったときに、私は初めて叔父の家を訪れました。都内にあるその家の、小さな庭の片隅に棚が設けてあり、たくさんのサボテンの鉢が並んでいました。それを見た私は、叔父の趣味と知って、驚いたものです。
 でも、今は何となく、分かるような気がします。私も狭いベランダで鉢植えの花や野菜を植えて楽しんでいるからです。そして私の妹も園芸が趣味です。妹は、家を建てるときに、家が狭くても庭が欲しい、と言ったくらいですから、野菜を作り、草木を植えて楽しんでいます。
 私、妹、叔父や叔母は、故郷大船渡の同じ家で育ちました。庭が広く、たくさんの果物の木や草花が育っていました。また、庭の一部は畑にし、野菜も作っていました。叔父叔母にとっては父であり、私達にとっては祖父である「重四郎」という人は、植物の大好きな人でした。花も好きで、庭には季節ごとにたのしめるように、いろいろな種類の花を植えていました。
 そんな実家を共通環境として育った叔父や叔母、私達姉妹が、園芸という共通趣味を、都会の片隅で細々と続けることは、自然の成り行きだったのかもしれません。
 わが家のベランダでは、花の他にセリ、ニラ、パセリが育っています。昨年の今頃、娘の歌の友達から頂いた、鉢植えの紫陽花も咲き始めています。
 こんな小さな「庭」でも、遠い昔の実家の庭を彷彿させます。

近況あれこれ
昔小学生の思い
 Kちゃんから「見に来てね」と誘いを受け、今年も運動会を見に行きました。幼稚園に入った年から数えてKちゃんの5回目の運動会です。
 幼稚園での最初の運動会は、娘バルと一緒に見に行きました。運動会の行われる場所は、小学校の校庭ですが、幼稚園の頃もここでしたので、娘と一緒に見た、最初の運動会をいつも思い出します。
 今年は暑い日でしたので、テントの下の敬老席に座ろうか、と思ったのですが、もういっぱいでしたので、持参した腰かけで、それでもテントの下に陣取りました。
 三年生のKちゃんが参加した種目は、「綱引き」と「輪」と「短距離競争」の三つです。80メートルを走る短距離競争のときには、私は場所を移動し、Kちゃんに声がとどくように、大きな声で応援しました。
 「輪」は、三年生全員で、身の丈ほどもある大きなフラフープを、自在に操りながら踊るものでした。私はその見事さに感動しました。短期間にこれほどの技を身に付ける子供の能力の計り知れない可能性と、それを指導した先生の、両者に感心と感動を覚えました。
 そしてなにより、生徒の席はもちろんのこと、騎馬戦さえも男児女児混合だったことに今更ながら気づき、感心しました。礼記の、「七年男女、不同席(男女七歳にして 席を同じゅうせず)」を思い浮かべる私に、私自身が「古い!」と声を上げていました。70年前に小学生になった私です。今の小学生を見ていますと、感心というよりも、感無量とでも言った方がぴったりだと思いました。
(2019年6月8日/次回更新予定6月22日)
posted by ジャン吉 at 09:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月25日

心の中の娘と共に:(38)

 セリ
 お正月にスーパーから買った一束のセリが、今わが家のベランダで育っています。
 お雑煮に使おうとして買い求めたセリですが、使った後の根の付いた部分を捨てがたくて、鉢に植えました。そして5月まで、15pぐらいまで成長したセリを数回摘んで食べました。量も、買ったときとほぼ同じぐらいあります。

 私が故郷大船渡で馴染んでいたセリは、スーパーのセリのように縦に伸びたものとは異なります。茎の長いのを「水ゼリ」というそうですが、私の故郷ではセリというと茎の短いものがほとんどでした。
 稲刈りの終わった田んぼは、水の無いまま、翌年新しい苗を植えるまではお休みしています。春も早い時期に、その田んぼやくろ(田と田の仕切り)などに、毎年セリが生えてきます。赤っぽい茎は短く、地面にしっかり張り付いたように生えていますので、セリ摘みは、包丁で根をこそぎ取るように切離していました。田んぼのそばの堰や小さな沼の中には茎の長いセリも見受けられましたが、それほど多くはなく、水の冷たい季節でもあり、水の中のセリまでは摘まなかったように思います。
 セリ摘みは子供の仕事でした。学校から帰ると、近所の仲良し2、3人で誘い合って出かけます。人数が多いと競争が激しくなるので、3人ぐらいまでです。手籠(てかご)と包丁を持って、その日の摘む場所を話しながら決めていきます。田んぼの周りには、どこにでもセリが生えているので、どの方向へ行っても収穫できます。
 摘んだセリを家に持ち帰ると、まずは茎の古いところや、他の植物の葉などのごみを取り除きます。それから水に放し汚れを落とします。母はいつも茹でておひたしにするか、味噌汁に入れていました。赤っぽい茎や葉が緑に変わる瞬間が好きで、私はいつも母のそばで見ていました……。

 ベランダ育ちのセリは、からし和えにして食べようか、それとも味噌汁の具にしようか、と最初はあれこれ思いを楽しんだのですが、叔母の家にはからし和え、自分には二度も収穫しながら、味噌汁だけで終わってしまいました。
それにしても、一年中何度も摘むことができるセリなんて、不思議ですね。季節感がまるっきり失われてしまって、何度も何度も、私の餌食になる運命を背負ってしまったことに、セリといえども、同情してしまいます。

近況あれこれ
母の日
 娘バルが亡くなったのは2016年の10月です。この年の母の日にも、例年どおり、プレゼントのバラの花をもらいました。
 そのときに娘からもらったバラの花は、枯れたまま、まだ玄関に飾ってあります。それを、母の日が近づくと、娘の遺影のそばに移し、カードと共におきます。カードには「ママエへ 今日は母の日!おめでとうございます!いつも色々とお世話になりっぱなしで 本当にありがとう。バル」と書かれています。読んでいると、娘がそばにいるかのような錯覚に陥ります。
 今年の母の日が近づいたある日、看護師の茜ちゃんが旦那様と訪れ、たくさんの深紅のバラを「お母さんに」と、下さいました。彼女は、娘が入院していた時に、私と交替で何度も病室に泊まって、娘を見守ってくれた人です。さっそく大きな花器にバラを活け、遺影の前に置きました。3年前にバルからもらったバラと、今年茜ちゃんからもらったバラが並んでいます……。

 三年前の5月25日、ブログを更新し「お茶でも飲もうか」と、娘に言ったら「お母さん、熱があるみたい」と娘。そして眠れぬまま一夜を明かした娘は翌日入院。10月には、娘は帰らぬ人となりました。
 三年前と同じように「バル、お茶でも飲もうか」と、遺影に呼びかけてみました。
                       
(2019年5月25日)
posted by ジャン吉 at 16:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする